未成年だから受からせないとか7回目だから受からせないという言葉と実際の採点は別だということです。今よりもそういった事への言動やコンプライアンスが緩かったというだけです。
むしろ当時のような情報の薄い時代に自己流の運転で公安委員会の実施する試験に望んで7回で受かる方が凄いと私は思います。

そういった意味で当時の試験官の採点を疑うよりも試験官の言動やコンプライアンスの方を問題視されるのが先でしょう。そして疑うべきは本来ならば自身の運転に関してになるべきです。

試験に落とされた人間はほとんどの場合、試験官に対して前向きな心理にはなりません。落とされた方は「何故落とされた?言われた通りのことをしたのに」とか「落ち度はないのに」などと考えるのは当然だったりします。

しかし合格できないからには合格できないだけの理由があるのですよ。試験官の言動はともかくとして、実際の試験における運転の出来栄えに関してです。

当時が今のように情報が溢れている世の中であればずっと楽に限定解除できていたはずですよ。

ただし現在のライダーよりも当時のライダーの方が経験が深く、上手にバイクを操ることに関してはプライドを持った人が多かったということは私もじゅうぶんに感じています。
安全運転意識に関しては時代の流れからか当時よりも現在のライダーの方が持ち合わせているというのも感じますけどね。

そして一番の問題でありなおかつ教習に従事していて業界を見てもっとも思うのは本来、公務の委託であり公平性を保たなければならない教習や試験などの業務が資本主義に飲まれて蔑ろになっているということで間違いありません。