バイク乗りになったきっかけ
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昨今バイク人口は減ってますが、あなたがバイクに乗るようになったきっかけは何ですか?語り合いましょう。 リターンなんですが
20年以上前は極貧でボロアパートにバイク停めてて
タバコ押し付けられたりパーツパクられるわで
人間不信にまでなってバイク降りたんですけど
最近カフェとかスクランブラーとか新しい世界観に
触れてまた乗りたくなって大型取りました カワサキ党の友人の影響で、
大型二輪免許まで取得した。 ∧_∧ /ヘ
(´Д`) /L/
)" (_ //
∠二二/)丶( ̄)
`/ / (/∠ノ彡 バイク速報!
| |_ノ /∠ノ| バイクの速報!
丶__⌒)" _ノ
( 彡 (\ バイクバイクバイクバイクッ!
\__ノ \ 速ーーーーー報ッ!!!!
| /⌒\ \
ノ | > )
/ ノ /\/
`/\/ ( イ
( イ 丶_つ
丶_つ またバイク速報かよ
ばいくちゃんねると一緒におーぷん2ちゃんねるでもまとめてろよ 親父がバイクきちがいで小学生の頃から後ろに乗ってたから バイク速報はん!大阪でんな!!
このバイク速報が自ら晒したIPから
コイツは大阪在住でソフバン使いな
@http://egg.2ch.net/test/read.cgi/bike/1502265519/18,19
ワンミングク MMfe-cqqg [153.155.160.88]
犯人は大阪だなw
Ahttp://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1396875621/
↑
HOST:softbank218180242063.bbtec.net 自転車より早く遠くに行ける足として
学生時代に原付き購入
30km/h規制で捕まり原付きに嫌気が差し
中型免許取得 小学校の担任がバイク通いで、家庭訪問にもナナハンで廻ってきてた。
スパルタな先生だったが男の子として憧れるものが色々あったな。
で、高校は3無いで駄目だったから大学生になって普免・中免と取得。
そして3年の秋に限定解除。 子どもの頃にジャンプで読んだマンガでバイクに憧れた 長くなるかもしれんけど、昨日このスレを見つけてどうしても書きたくなった。今日一日中メモに書いたのを貼って行きます。ウザいと感じる人はNG登録して下さい。 高校時代や大学時代は割と友達も多くて普通にリア充な生活を送ってた。卒業後に就職して会社でひどいパワハラを受けて、鬱になってしまい仕事に行けなくなった。
社会人になって付き合った子にもあっさり振られてしまった。心身共にズタボロで正直死んでる様な状態だった。一日中ずっと眠り続け食料の買い出しと精神科の通院の日だけ外出する様な日々だった。
鬱の時って本当に体が動かないだ。一日中山登りした次の日の疲労感がどんなに寝て休んでも24時間続いてるような感じだった。人が怖くて、誰も信じられず、このまま死のうかと何度も思った。 結局会社も辞めて実家に戻った。家族は快く受け入れてくれてむしろ鬱になった事を黙ってた事を怒られた。母親が泣く姿は今思い出しても辛い。
少しずつ元気になった俺は会社でのいつも誰かの評価や言動に縛られていたと気がついた。上司の顔色を伺いながら仕事をする事は本当に辛かった。
周りに人がいる前で怒鳴り散らされる屈辱と悲しさはやられたものにしか分からない。あまりにも理不尽で不自由な時間だった。 実家で少しずつ回復していた俺は近所を散歩するようになった。特に精神科の先生から回復の兆しが見えてきたとの事で週三回の図書館通いを勧められ近くの大きな図書館へ通う様になった。
新聞や小説、ギネスブックなんかを読み漁る時間は割と楽しかったが、なかなか集中力が続かなかった。図書館は老人や子供連れた母親だけじゃなくて割と若い人もいたのが意外だった。
朝から昼過ぎまで図書館にいて、図書館の喫茶店でランチを食べるのが習慣になった。その喫茶店に多分同じ年くらいの若い女の子がいた。背は小さいけど、美人で接客も素晴らしく良く正に看板娘って感じだった。
同世代がハツラツと働く姿をみて自己嫌悪に陥ったりしたけど、いつからかその子に会えるのが楽しみになっていた。でも当時は鬱の薬のせいで性欲が全くなくなってたし、人間嫌いになってた俺は仲良くなりたいとか付き合いたいとか強い願望はなかった。無職だったし。 ある日読書しながら眠ってしまって帰りが閉館前ギリギリになった時に自転車を取りに駐輪場に行くと喫茶店の女の子がいた。当然話しかける勇気なんななくてボーッとしてたら、何とその子から話しかけてきた。
「いつも喫茶店に来て頂いてありがとうございます」
「あ、いや、その、今休職中で暇だから・・・その・・・」
「そうなんですね。変な言い方してすいません。」
「いや、全然大丈夫です。」
気まずい雰囲気が流れた後、彼女は「では失礼します」と言って駐輪場の奥の方へ移動して行った。それからバイクのエンジン音が聞こえてきて、フルフェイスヘルメットを被った彼女が大きなバイクに乗って颯爽と去って行った。
正直当時はバイク=暴走族って印象で不良が乗る危険な乗り物って印象だったから、清楚そうな彼女は実はヤンキーだったのかとショックと意外性にビックリしたのを受けたのを覚えている。 それから喫茶店に行くたびに彼女と少し話すようになった。年は一つ下だったこと、バイクのメーカーや種類、名前は真奈美(仮名です)という名前だったこと。真奈美のお父さんが乗っていて、子供の時から後ろに乗っていた事を教えてもらった。
図書館にも夕方までいるようになって喫茶店内や仕事終わりの真奈美と話す機会が増えた。職場で辛い目にあって仕事を辞めたこと、今リハビリ中な事を話すまでの仲になった。
この頃の俺は職場での事を冗談みたいに話す事ができる様になっていたので随分と良くなっていたんだろう。 真奈美のバイクな750ccのネイキッドだった。無骨で凄くかっこよかった。ある日喫茶店で「バイクの後ろ乗ってみます?」と真奈美が言い出したのは冬の直前の暖かい秋の日だった。
二つ返事で乗ってみたいと答えたが、ヘルメットがないので後日ってことになった。その次の週の真奈美が昼で終わる日に初めてバイクの後ろに乗った。
真奈美に言われた様にお尻を両膝で挟み、片方の腕を華奢な腰に回してもう片方はリアシートの出っ張りを掴んだ。初めてのるバイク。すごい加速感にビビりまくって変な声が出た。海沿いの道を走って夕日を見た。未だに忘れられない感動。バイクに乗ってみたいと思った。
それから俺は地元の別の会社に就職して次第に日常を取り戻して行った。週末は真奈美に会うために図書館に通って少しずつ仲良くなっていった。「バイクの免許取りたい」って伝えた時の真奈美の嬉しそうな顔を今でも忘れない。
教習所代を出してくれた親父にも感謝してる。母親は反対してたけど。 それから教習所に通って中型免許を取った。5時間くらい補講になって、卒検は3回目で受かった。でも教習は楽しくて仕方なかった。卒検受かった時はもう教習所に行けないのかと寂しくなった程だった。
バイクは400ccのスポーツタイプを中古で買った。初めてのソロツーリングは真奈美の後ろで行った海辺を走った。
股下から伝わるエンジンの熱と鼓動、ヘルメットから流れてくる潮の香り、バイクの加速感、バイクと一体になってカーブを曲がる気持ち良さ、目的地もルートも休憩も引き返すのも自由で何一つ理不尽な事がない至福の時間だった。
あの真奈美とみた夕日を一人で眺めてると前の職場で溜まってしまった澱みがすぅーっと消えていくのを感じた。生き甲斐を見つけた気がして、目の前の景色に心から感動した。バイク乗りのみんなはこの楽しさ解ってくれると思う。本当に最高の時間だった。 バイクを買って割と直ぐに真奈美に告白した。意外にもオッケーだった。バイクが大好き、そんな俺らだったから二人で良くツーリングに行った。
目的地で何かするというよりは目的地まで行く事が目的みたいなツーリングが多かったけど楽しかった。ツーリング先でもグルメや観光には目もくれず、綺麗な景色を見ながら真奈美が作ってくれたおにぎりなんかを食べていた。
雨男の俺が週末雨でツーリングに行けないことに悪態をつくと「前世がカエルだったんじゃない?」っていつも悪戯っぽく笑ってた。 新しい職場にも上手く馴染めて順風満帆だった。給料は安かったけど自信がついた頃、真奈美にプロポーズして俺たちは結婚した。
それから可愛い一人娘にも恵まれて幸せだった。残念ながら娘を妊娠してから真奈美はバイクを降りた。俺は大型に乗り換えた後、一人でツーリングするようになったが、たまに娘や真奈美をタンデムシートに乗せて近場をゆっくり走ったりした。
周りが次々とバイクを降りたが俺は走り続けていた。マスツーリングよりもソロツーリングで時間も気にせず自由に行動するのが好きだった。 幸せの絶頂だったが、娘が中学1年生の時に不幸が舞い降りた。真奈美が最近疲れやすいと言い出したので近くの内科に連れて行くと腹水が溜まっているらしく、直ぐに大きな病院を紹介された。
診断は婦人科の卵巣がんだった。色々検査してお腹の広い範囲に転移があって直ぐに手術ができる状態ではなく、最初に数ヶ月抗がん剤をしてそのあと手術になり、術後も抗がん剤を使って一時良かったが直ぐに再発した。
髪も抜けたままやせ細った真奈美をみるのが辛かった。2年の闘病を経て真奈美は俺たちを残して逝ってしまった。病気が分かってから俺は2年間全くバイクには乗らなかった。
真奈美は「気晴らしにツーリング行ってきたら?」と良く言ってくれたが全く乗る気にならなかった。 そんな辛い中、娘は真奈美の看病も受験勉強も一緒懸命に取り組み高校に合格した。合格祝いは二人だけでした。
娘が高校に通う様になって、ある日ふとバイク置き場を見るとカバーがかかったままの愛車があった。
埃だらけでバッテリーも上がってエンジンもかからないバイクを見て、真奈美と重ね合わせてしまい込み上げてくる熱を抑えきれず、駐輪場で一人泣いた。 バイクはもう処分してしまおう、そう思った。もう車検切れてたっけ?っとリアシートを外して車検証を入れてるビニールを取り出すと見慣れない封筒があった。
真奈美が忍ばせた封筒だった。一部改変して書きます。
「いつもありがとう。そしてごめんね。最近あなたがバイクに乗らないのがとても寂しい。バイクに乗ってるあなたはとっても楽しそうで輝いているから、月日が経てばきっとまた乗りたくなるよ。
だから私に何かあっても好きな事をして楽しく生きて欲しい。バイクがあったから私たちは出会ったんだからね。もしも願いが叶うならあの子が社会人になったら私もまたバイクに乗ってあなたとツーリングに行きたいな。あの子を宜しくお願いします。大好きだよ、ありがとう」
書いてあった日付けは再発がわかった頃だった。 涙を堪える事ができなかった。部活から帰ってきた娘がびっくりしてたから手紙の内容を話すと、生前真奈美は娘に同じような事を言ってたと教えてくれた。二人で抱き合いなが泣いた。
それから直ぐにバイクをショップに引き取りに来てもらって整備した。それまではキチンと整備してたから、割と簡単な整備で元通りになった。
それから俺はまたライダーになった。色々複雑だったけど、俺はやっぱりバイクが大好きだ。歳を重ねてもギリギリまで乗っていたいと思っている。 スレ汚し本当にすいません。
実はこの春、娘が高校を卒業して看護学校に進むんです。春休みに車の免許を取る予定だったのに娘は普通自動車二輪の免許を取りました。しかもバイクの免許代は自分でバイトして貯金して。
「バイクの免許取って良い?お母さんも免許持ってたんだよね!」って聞いてきた時は思わず娘を抱きしめてしまった。
そしてついに今週末、娘の初めてのバイクが納車される予定です。少しなれたら真奈美と行ったあの海辺に二人でツーリングに行こうと思っています。 読んでくれてありがとうございました。恥ずかしながら一日中書きながら色々思い出して泣いてしまった。でも書いてみて良かった。勿論娘には書き込みは内緒です。妻の墓参りにもバイクで行ってきます。
みなさん安全運転でお互いバイクライフを楽しみましょう。ありがとうございました。不快にさせた方がいたら申し訳ありませんでした。 乙
たまにはこういうストーリー形式も良いんじゃないかな やっぱバイクには色んなドラマがあるね
でも最終的にはやっぱ事故なく安全に走って思い出作る事が大事だな 16で、通学用に原付取得、その後2段階右折で捕まって中型取得、就職して、うつで休職中に暇だったので、せっかくの機会だから大型取得
ちなみに、大型は所有したことない 18歳 無免許で捕まる
19歳 無免許で捕まる
20歳 根負けした親が許可、中型免許取得
…
50歳 秩父さすり隊に入隊 >>1良スレ乙。そして>>22良い話をありがとう。娘さんを大事にね。
俺は親父の影響だったなぁ。バイクっていってもスクーターだったけどね。今では時効だけど、保育園までスクーターで2ケツして通ってたのを覚えてる。足元側に座ってたw >>44
俺もだわ
親父の足で挟んでもらって立ちながら前見る感じでな
今思えばあぶねえけどスゲー気持ち良かったな >>45
全く同じ。初めて自分でバイクに乗った時にその頃を思い出したよ。バイクに乗るきっかけというよりは、バイクに乗って思い出した深い記憶って感じだった。 >>46
そうそう
色んな要因はあるけど俺ももしかしたら多分それが本当の最初のきっかけだったかもしれない うちの親父は、俺が物心ついたときは、車の免許持っていなかったんだよな。
旅行行くときは、親父の友達の車に乗っていくのが、恥ずかしくってさ、車が買えないほど、貧乏ではなかったんだけど、恥ずかしくって嫌だった。
そんな親父とは、よくバイクに乗っけてもらって朝早くからカブトムシ取りに行ってたっけ。
そんな親父も死んで13年になる。
俺もバイク乗り。
今思うと親父、かっこ良かったんだなぁ〜って思いながらバイク転がしてるよ♪
親父みてっか? >>48
親父さんも向こうで楽しく乗り回してるだろう >>38
とても悲しいけど、素敵な話ですね。
読んでいて、こちらも泣けてきました。
そういうきっかけでバイクに乗り始め、再び走り出す決意をしたのなら、くれぐれも事故に遭わないよう、娘さん共々気を付けて運転してくださいね!
たくさん幸せな出来事がありますように。。。 >>38
俺も付き合ってた彼女がバイク乗りだった影響で大学生の時に乗り始めたよ。結局別れてしまったけどね。今でもたまに女性ライダー見ると彼女どうしてるかな?まだバイク乗ってるかな?って思い出す。今の彼女はバイクに興味がないから寂しい。 >>38
ホントか、ネタか知らんが泣けた。
夫婦や親子でバイク乗ってる光景は良いよなぁ。
孤男だからバイクの深い思い出とかないけど、高校生の時、兄貴にタンデムで乗せて貰った時は興奮は覚えてるなぁ。
40代を過ぎて酒飲むの優先でツーリング行ってないから、今年の夏は出掛けてみようかなぁ。バイクは素晴らしい。 >>53
やっぱりきっかけは身近な誰かが乗ってたってのが多いのかな?俺も周りに勧めたいけど、やっぱり事故を考えると躊躇するよなぁ。バイクの魅力って乗ってみないと分からない、言葉で説明できないのが口惜しい。 >>54
80超えたオヤジは、元カミナリ族。バイカーの血が俺を焚きつけるぜ!w
喪かつ孤男だから心配いらんが、彼女を軽装でタンデムしてるのは信じられんなぁ。女の子がショーパンとか。
熟年夫婦がサイドカー乗ってたり、それぞれオフ車乗ってるのは、格好良いよね。人生を楽しんでて羨ましい。 俺の地元じゃコルクかぶってコール切ってないと女にもてなかったからな ちょうど流行ってた時期でバイク乗るの当たり前な風潮じゃなかったかな?その後みんなバイク降りて周りは自分だけになった。たぶん合ってるんだろう。クルマよりバイクばかり使ってる 車が壊れたときの予備機扱いでモンキー買ったのが最初やな >>60
最近の車は壊れないよなー。観光地でボンネット開けて頭かかえてるドライバーなんか見なくなった。バイクは定期的にメンテしないと直ぐに機嫌が悪くなるけど。そこが楽しかったりするんだけとね。 通学の足だったな。
電車バスを乗り継いで行くと1時間半弱、原付なら30分弱だったので。 >>61
車載工具どころかスペアタイヤすら付いてない時代だしな
パンク修理キットで直せないバーストしたときに絶望したわ >>64
いまもめてる最中だから穏便に。内輪の事なので決して秩父スレッドを見ないようw 小学生の頃に信号待ちの白タンクに赤フレームのネイキッドのお兄ちゃんに手を振ったらピース返してくれて走り去ってった姿がものすごくカッコ良くて自分もいつか乗りたいと思った
バイクの構造を勉強したり絵に描いたハンドルのクラッチレバーとアクセルを駆使して妄想ライディングとかしてたなぁ
今はおさわりまんに注意しながら車とかから手を振る子供達がいたら全力でピースする側になってる。子供達にはレプソルカラーは大人気だw >>66
分かる。ほっこりするよね。
子供からみたらライダーはカッコイイよなー。なお、ヘルメットの中は・・・。 >>66
それ俺だわ!あん時のガキかぁ!?懐かしいなぁ(^ム^) >>68
そういうかっこいい奴はこういうとこに来ない、あれは俺 20年前の学生の頃バイトしてたボーリング場のスコア表示のモニターに
利用客がいないレーンはアメリカのドラッグレースやパリダカのレーザーディスクの映像が流れてた
そのパリダカの映像見て乗りたくなった バイク乗りになったきっかけは人それぞれあるだろうけど、俺は降りたきっかけを聞きたいなぁ
今30歳でまだまだバイク乗りたいんだが、やっぱ降りる時がくるのかな。
やっぱ子供生まれたりしたら降りるきっかけになるのかな。 きっかけというか段々乗らなくなって長期不動→売却とか 仮面ライダーのサイクロン号に憧れて。
ってか、爺ちゃんも父ちゃんもバイク好きだったので遺伝だな(・∀・) >>72
それが一番多いよな。
乗り続けてても飽きて殆ど乗らない時期ってあるし。
ずっと好きで好きで、って人の方が珍しいかと。
長く細く乗るのが良いと思うなぁ。 小学生の頃近所の兄ちゃんが乗ってたマッハがカッコ良くて自分もいつか乗ろうと思った MT原付で通勤してる内にもっと速くもっと遠く走りたくなった 16歳の時に友人が原付に乗ってて3秒間だけ敷地内で乗らせてもらったら
楽しすぎて楽しすぎて…
その日に原付買ってすぐ免許取り行ったのがきっかけ バイクに乗ってるとモテてた時代があった
まだまだ少数でちょっと不良っぽい(珍走って意味ではなく)イメージが持たれてたけど、かえってそれに惹かれる女の子もいたわけで >>74
けっこうおるで、年齢スレや免許取得スレなんかで懐かしむ者荒らす者様々に 一時期、限定解除組が荒れ狂った時期があったな
まぁ、本人らの過去の苦労を思えばわからんでもないがw >>83
彼らも免許getの引き換えに髪の毛を失ったから語るくらいは許さないとな >>38
泣いた
マジで泣いた
創作でもなんでもいいよ >彼らも免許getの引き換えに髪の毛を失った
ワロタw
そういやモーターサイクルショー行ったらハゲ多かったけどたまたまだよな?
やっぱヘルメットのせいなのか? >>86
女性白バイ隊員てそんなに昔は居なくね?
86が仮に20歳だとして20年前。
居たかな? >>89
取り締まり要員としてはいなかったんじゃ
マラソンの先導とかかな
エンジ色の制服だったような 親父がオートレーサーだから、影響受けずにはいられなかった。 二十歳超えて普通免許取るのに通った自動車学校で検定合格後に数分だけ乗った原付講習で目覚めた。
車を初めて運転したときよりも感激した。
あんなの中学の時とかに乗ったりしなくてよかったわ。
人生狂う。 小さい頃世田谷に住んでて近所で特撮の撮影をよくやってた。
円谷プロや東宝の撮影所がちかくにあって太陽にほえろとかの撮影もあったな。
で、キカイダーの撮影やっててあのサイドマシーンが目の前にあったw
当時はおおらかだったんだよなw
ちょっと跨がったんだよ。
でも、壊すなよくらいで怒られないw
そこで目覚めたわ ガキの頃、父が仮面ライダーストロンガーだったから自分も仮面ライダーになれると信じてた。 >>99
「本当の」父親とは限らない
キミの母親だけが知っている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています