★《じん肺は、過去の病気ではない》。重症になると、酸素ボンベを抱えて暮らさないといけなくなる
■参考
◆じん肺に倒れた鉱山労働者たち[SBS 2012/06/14]
◆死の棘(とげ)〜じん肺と闘い続ける医師〜[SBS 2013/05/29]

●遠州じん肺訴訟 1978(昭和53)〜1989(平成元)年
■《ヨロケ》になった鉱山労働者達は、会社を相手どり裁判を起こした。「鉱山労働者が集団で企業を訴える」、全国初の集団訴訟。
■古河鉱業・久根(くね)銅山、生産量で全国2位を誇った。しかし、その繁栄の影で、鉱山労働者が胸をかきむしり死んでいった。
 1970(昭和45)年、銅の枯渇を理由に閉山。会社は、《ヨロケ》になった労働者達を置き去りにし出て行った。
 日本の土台を作った男達は企業から国から見捨てられ、残ったのは不治の病だけだった。
 会社から何の保障も無いまま、じん肺と貧困に苦しみ、自殺した鉱山労働者も。
 ゴーゴーと懸命に呼吸しないと動けない(スターウォーズのダース・ベイダーのよう)。(酸素ボンベが欠かせず、そのタンクは、高齢の妻が背負い山まで運んだ)
■1978年の提訴から11年、1989年、4億円以上の損害賠償を求めた裁判は、企業側が3億5000万円を支払い和解。
 労働者側の事実上の勝訴。しかし、既に原告の半数は亡くなっていた。
 ▽1970年…久根銅山閉山
 ▽1978年…経営企業・古川鉱業など4社を相手取り損害賠償訴訟を起こす
 ▽1989年…企業側が3億5000万円を支払い和解
◆久根(くね)鉱山とは
 明治元年まで「片和瀬鉱山」と呼ばれ、始まりは1731(享保6)年。
 大鉱脈が発見された直後の1899(明治32)年、足尾銅山で有名な「古河鉱山」が買収してから急速に発展。
 久根鉱山は、「足尾銅山の鉱害(公害)」に学び、鉱害の無い鉱山を目指してスタートしたはずだったのだが…。