パール判事は、インド独立運動の父ガンジーを尊敬し、欧米の植民地主義を批判する立場であり、日本の対外侵略にも批判的な見地をもっていました。

 たとえば意見書では、1931年の「満州事変」について「何人もかような政策を称賛しないであろう」とのべ、37年の南京事件の残虐行為について「証拠は圧倒的」と明言しています。太平洋戦争については、日本軍による残虐行為がおこなわれた20地域を列挙し「主張された残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない」と断じています。