確証なんかないけどさ、
なんで日本帝国陸軍が爾靈山で損耗の山を築くことになったか。
司馬史観では説明しない(できない)だろうが、
ロシア相手の戦争だと和平交渉は無意味で、
完全に降伏させることでしか危機の除去ができないからなんだろうな。
御一新をくぐり抜けてきた明治の元勲たちは
英米蘭仏と独露と支那朝鮮の三つの世界が別物だとわかってた気がするんだよね。