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 −−安倍氏が当選3回で幹事長に抜擢されたのも極めて異例だった

 「おそらく私の人事は非常に苦労されたと思う。私自身は3年間、もう十分に官房副長官を務めさせてもらったので、次は党で
拉致問題を責任を持ってやりたかった。拉致問題をやっていかなきゃいけないという、強い私自身の使命感があった。
小泉さんに私は人事で希望を出したことはあまりなかったけれど、『拉致問題は引き続きやらさせてもらいたい』と。
党内で私の主張はまだ主流派じゃなかったし、アジア大洋州局長などを務めた外務省の田中均氏との対立もあった」

 「小泉さんからは(発表の)前の日に『重要な役職を君に頼むけど断るなよ』と言われた。私はそれを聞いて、もしかしたら
閣僚なのかなと思った。おそらく小泉さんは幹事長ポストだと伝えたら、私が断るんじゃないかと思ったのだろう。
首相秘書官だった飯島勲さんからも『これからも活躍してもらわないといけない』『安倍さん、逃げたら困る』などと言われた」

 「(小泉首相からの電話の)次の日に森さんから電話がかかってきて『君に幹事長を』という。おそらく小泉さんは森さんに
頼んだんですね。でも私は一度断った。大臣であれば、官房副長官を約3年やったので、国会答弁も含めていろいろな土地勘が
できていたけれど、党幹事長は政治家としての重みがなければ部下は政治家だから言うことを聞かない。『幹事長代理など私の
下につく人の当選回数は私よりも圧倒的に上になるわけでしょう、どうするんですか』と答えた。でも森さんは『それは君、こ
れを受けなければ骨格が崩れて大変なことになるんだ』というわけです」

 「森さんに説得されている間にテレビで速報が流れ、妻と母が『安倍幹事長って出ているわよ』と。報道されたら、ことさら
覆すわけにいかないと思い、お受けした。普通、幹事長ポストは嬉しいはずだが、私は全く嬉しくなかった。大変だとしか思わなかった」