筆者の森清勇氏は防大卒業後に京大大学院にも在籍するが
何故か博士課程への進級を拒否される

日本人から「学問の自由」を奪ってきた日本学術会議 ─ 森清勇
■ 自衛官の「学問の自由」を奪う
 学術会議の声明によって、大学などは研究を制約されてきた。真に必要な研究ができ
なくなったという点で、まさしく「学問の自由」を剥奪したのだ。
 同時に、その影響は多くの自衛官が日本の国立大学の大学院へ行けなくし、また大
学院に在学中の院生は上級課程への進級が不可となった。
 昭和42(1967)年、修士課程2年目に在席して研究などに勤しんでいた筆者は、博士課
程への進級ができないと告げられた。
 理由は告げられなかったが、当時は防衛庁側の要請という認識が先にあり詮索する
ことはなかった。
 しかし、その後に得た情報からは1967年10月の学術会議の声明の結果であった。
 当時はどの大学にも安全保障講座や軍事技術関係の研究室はなかった。したがっ
て、大学院に学んでいた自衛官は「軍事目的の科学研究をしていた」わけではなかっ
た。
 筆者が去った後も所属した研究室は存続したこと、また、他の多くの分野でも自衛官
だけが大学院から排除されたことからは、「自衛官」=「軍事研究」と短絡的にみなされた
のだった。
 これは「学問の自由」の排除であり、マスコミが好んで使う「差別」以外の何ものでもな
い。
 戦前には多数の軍人研究者を員外学生として受け入れた東京帝国大学であったが、
戦後の東京大学は自衛官の大学院への受け入れ自体を拒んできた。
 したがって、院生として学べる大学は学費の問題などから東大を除く旧帝大系であっ
たが、1967年以降はここも門を閉ざし、費用の嵩む外国の大学院へ留学することにな
り、必然的に数は限られた。
(略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/878467ad50a1b633aa214d087175c9793a22e834?page=6