>>526
(続き)
中島秀人(聞き手 シニアエディター・尾沢智史)
■物申す役割、奪う総仕上げ
・学術会議の歴史は当初持っていた大きな役割を政府がひとつひとつはぎ取っていったプロセス
 今回の任命拒否はその総仕上げ
・学術会議はGHQの意向でつくられた
・設立当初は全国の研究者が会員を選ぶ「公選制」という世界でも珍しい形だった
 これでは選挙で数は力になるため「アカデミー」としては中途半端だった
・50年代には学術会議の存在感は大きなものだった
 研究費の配分に強い発信力を持ち政府の諮問への答申、勧告、独自の声明を出しており
 54年には原子力利用3原則「公開、自主、民主」を提唱し原子力基本法に盛り込むことができた
・政府の方針に反対することも多かったために政府は学術会議を相手にしない方向にシフト
 59年に科学技術会議(現・総合科学技術・イノベーション会議)
 67年に学術審議会(現・科学技術・学術審議会)
 をつくり学術会議の機能は徐々に移行
・83年に会員選出が公選制から推薦制に変更
 各学会の推薦で選ばれたため各分野の利益代表になった部分がある
・95年に科学技術基本法が制定されるが政治主導で学術会議の影響は弱かった
 当初は基礎研究に幅広く資金を出す方針だったため学術会議も不満には思わなかったようだ
・2000年代に「選択と集中」が行われたことに対して「一部の研究だけにお金を集中させるべきではない」
 と学術界全体で声が上がるも政府は無視
・いまは提言を出すけど政策や世論への影響力があるとは言えない
 注目されたのは17年の軍事的安全保障研究に反対する声明くらい
・学術会議の存在感を取り戻すためには改組が必要
・会員数を減らし終身制かそれに近い定年制にする
 新会員は現会員による投票で選び高い質を保つ
 これは民主的とは言い難いが権威を高めるには現実的
・権威を高めれば政治の関与を排除できる
・学術を政治は直接結びついてはいけないというのが憲法にもある歴史の教訓