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 大坂選手は子どものころから世界ランクの選手になることを目指して努力してきたが、
トップに立つことは時に苦しみを伴う。四大大会で連続優勝した後、全仏オープンでは
3回戦、全英オープンでは1回戦、全米オープンでは4回戦でそれぞれ敗退した。その後、
一時的に再び父の指導を受け、北京オープンで決勝まで勝ち進み、バーティ選手を破って
優勝した。昨年末にはフィセッテ氏とコンビを組み始め、その次の四大大会となる
2020年全豪オープンでは2年連続優勝を目指したものの、3回戦で敗れた。

 「優勝したとき、それは当たり前のことなのだという考えが湧く。だから喜ばない」
と大坂選手は話す。そして負けたときは「自分にとても厳しい」。

 「(プレッシャーに)どう対処したらいいか分からなくなるときがある」という。
「そのようなときに多くを学んだからこそ、前に進み続けられているのだと感じる。
(そういう経験は)好きではないけれど、
それが最終的に自分をより良い選手にしてくれることは分かっている」

 「彼女はこう言った。『難しいのは1位になることではなく、そこに居続けることだ』」
とドゥグッド氏は話す。同氏は大坂選手をテニスの枠を超えられるアスリートだと常にみていた。
そこで昨年6月、元プロバスケットボール選手のコービー・ブライアント氏に紹介した。

 ドゥグッド氏から連絡を受けたブライアント氏は、翌朝に大坂選手をオレンジ郡の
施設に招いた。「彼女は車に戻ってくるとこう言った。『人生で最も生産性のある出会い
だった』」とドゥグッド氏は述べた。大坂選手はブライアント氏が亡くなるまでの
数カ月間、連絡を取り合った。「本当にとてもつらい死だった」と大坂選手は話した。
「彼が注目してくれているとは思いもしなかった。でも、彼は前向きなメッセージを
送ってくれ、そこから学ぶようにと言ってくれた。それは私にとって確実に助けになった」