(多事奏論)コロナと国難 「引っ込み思案」じゃ困ります 高橋純子
2020年3月25日 5時00分

 3月11日、わが子に初めて言われた。

 「あの日のことだけは、感謝してる」

 9年前のあの日。
東京・銀座の喫茶店を同僚と出た直後、強い揺れにおそわれ、早足で会社にとって返した。
同僚は正面玄関をくぐり、私は立ち止まった。仕事に戻っていいのか? 
子どもは当時小学校低学年。災害時には保護者が必ず迎えにくるよう言われていた。
その時、そばにタクシーが止まり、人が降りた。よし、乗ろう。

 全校生徒が校庭に集められていた。
いち早く自分の迎えが来たことに、子どもは驚いたような、ホッとしたような表情を見せた。
そうだよね。保育園のお迎えはいつも最後だったし、平日は夕食を共にすることも
ほとんどないもんね――。取るに足りない小さな小さな思い出話。
でも、仕事を投げ出す決断は、私にとっては重く苦しく、いまも後ろめたさを引きずっている。

 育児のキツさの根源は「正解」がわからないこと。
なのに次々と決断を迫られ、責任を全部背負わなければならないこと。
だから、できるだけ多くの選択肢を準備しておく。
がまんや不利益を強いる時は、なぜそう決断したのか、根拠をきちんと説明できるよう心がける。
そして最後は祈るしかない。想定外、対応不能の突発事案が起きないようにと。
だが、はかなき祈りは通じず、先月27日、首相は突然宣言した。

 「全ての小中学校、高校、特別支援学校に、来週から臨時休業を要請します」