時代錯誤の「恩赦」抜けない刀にすればいい 小林節さん
聞き手・池田伸壹 聞き手・桜井泉 聞き手・藤田さつき 2019年7月12日16時30分

 裁判で確定した罪を行政権の判断で覆す「恩赦」。
政府は天皇の代替わりを機に今秋に実施する考えだが、批判も根強い。
民主主義のもとで、恩赦という制度をどう考えたらいいのか。

 恩赦は、もともと国王が認めることによって、犯罪者に対して刑の執行の免除と復権を行うことです。
歴史的にも世界中で、国家的な慶事や凶事に際して行使することで国王の権威を示してきました。

 ただ、現在の日本は国民主権の民主主義国です。「大御心(おおみこころ)」によって
立法権と司法権の決定を覆すという恩赦を行うのは時代錯誤も甚だしい。
アナクロニズムそのもので、民主主義の原則とも三権分立とも矛盾します。

 明治時代に定められた大日本帝国憲法では、恩赦は天皇の大権事項とされていました。
現行憲法では、天皇は国政に関与してはならない。それなのに、天皇の代替わりを祝っての
一律の恩赦となれば、儀式要員としての役割しか持たないはずの天皇を、
政治が二重に利用することになるのではないでしょうか。

 安倍政権は、アベノミクスはうまくいっておらず、北方領土は帰ってこず、拉致問題も前進していない。
そういう状況で政府は「令和は希望の時代だ」として恩赦を行いたいようですが、
平成を自分たちが希望のない時代にしてしまったことをチャラにするつもりでしょうか。
まさに内閣による天皇の政治利用です。(以降有料記事)

記事の続きでは、龍谷大学の石塚伸一さん、千葉大学の大林さんにも、
恩赦の考え方や、運用をめぐる課題を聞きました。

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