>>463
宇多帝と醍醐帝は臣籍から登極した確実な事例だからね
醍醐帝に至っては父帝がまだ源定省の時に生まれたので種はともかく身分は臣下からのスタートになる
宇多帝は父の光孝帝が藤氏とのやり取りのためか皇子を全て臣籍に下したからこうなった
大昔だって宮廷内ですら度々皇親内でも遠い人間が践祚するんだから諸王の復帰論によく知らないだの何だのと言うのは馬鹿馬鹿しい話
伏見宮系だって後小松帝からの譲位はかなり遠いしさらに後に東山帝の皇子の閑院宮から光格帝が出た時も帝位を襲ねたのは七親等とかそれくらい