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(続き)
 使い古された二つの警句がいま、明瞭な響きを持つ。
ナチスのナンバー2、戦犯として軍事裁判の法廷に立ったヘルマン・ゲーリング。
 〈当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。しかし、結局、政策を決定するのは
国の指導者たちであり、国民をそれに巻き込むのは、常に簡単なことだ〉
 〈自分たちが外国から攻撃されていると説明するだけでいい。
平和主義者については、彼らは愛国心がなく、国家を危険にさらす人々だと
公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ〉

 この国ではいま、権力者になりかわってレイシストたちが攻撃の先頭に立つ。
今回、藤沢市に訓練中止の申し入れを行った元高校教諭、樋浦敬子さんは痛感する。
川崎のヘイトデモに抗議するカウンターに参加してきたが、
「まだまだ人ごとだった。本当の意味での深刻さにようやく気付いた」。
申し入れが報道された途端、インターネットで個人情報が暴かれ、悪罵にさらされる。

 やはり破局を迎えたナチスで迫害を受けた牧師、マルティン・ニーメラーの警句。
 〈ナチスが共産主義者を襲った時、私はやや不安になった。
けれども自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。ナチスは社会主義者を攻撃した。
不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかったから、やはり何もしなかった〉
 〈それから学校が、新聞が、ユダヤ人が次々と攻撃され、そのたびに不安は増したが、
なおも何事も行わなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分はまさに教会の人間であった。
そこで自分は何事かをした。しかし、その時はすでに手遅れであった〉

 手遅れにならないために−。きょう午前11時に打ち鳴らされるサイレンを差別のお墨付きにさせてはならない。
これ以上の差別を許さず、いまある差別を非難する。それが戦争を防ぐことになる。
ttp://www.kanaloco.jp/article/307569/1/
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