もともと、摂政と関白は別の役職だったのですが、平安時代には藤原家が政治を独占的に行った時に
摂政、関白の役職を独占したので、関白の意味合いが、征夷大将軍的な扱いになったのかなと思ってます。

本来は、関白は公家の最高位、摂政は(幼い)天皇に代わって政務を執り行う役職なので区別すべきなのですが
平安時代は、藤原氏に関白と摂政の役職が独占され一体化し、そして、豊臣家に征夷大将軍的な役職に意味合いが変わってしまい、
その時代によって、関白の権限が大きく変わっていきます。