◆日本によるアジア解放を称えるスレ◆©2ch.net
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朝鮮を植民地化して欠陥農業政策を実行して
貧窮層を激増させた大日本帝国w
その結果第一次産業の労働力として
子供が増えたのを人口増加させたとか喚く池沼w
東南アジアでは強制栽培などに加えて
安価に食料徴発をして大量の餓死者を出した大日本帝国w >>718
はあ?日本統治前はまともに食えなくて国民のほとんどが餓死してたバカチョン国なのにw
東南アジアでも農業振興政策やってたしなw
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 【李朝時代末当時の証言】「朝鮮事情(仏人宣教師シャルル・ダレ神父/平凡社東洋文庫)」1874年
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『1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもい た。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮・人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ』
日本人は永遠に反省しろ!大韓帝国5000年の歴史を一瞬にして崩壊させ
36年に及ぶ日本帝国主義支配の際に日帝が朝鮮にした恐ろしいことがコレだ!
朝鮮半島の人口が2倍に増えてしまった。
24歳だった平均寿命が30年以上も伸ばされてしまった。
人口の30%を占めていた奴隷が解放された。
幼児売春や幼児売買が禁止された。
家父長制が制限された。
度量衡が統一された。
家畜扱いだった朝鮮女性に名前がつけられるようになってしまった。
忘れられていたハングル文字が整備され、標準朝鮮語が定められた。
朝鮮語教育のための教科書、教材が大量に作成され、持ち込まれてた。
5200校以上もの小学校がつくられ、師範学校や高等学校もあわせて1000校以上つくられた。
239万人が就学して、識字率が4%から61%に上げられてしまった。
伝統医療法だったカルト呪術医療が禁止されてしまった。
上下水道が整備された。
入浴を強制され、泥水すすって下水垂れ流しの生活ができなくなった。
日本人はずっと徴兵されていて戦場で大量に死んだが、朝鮮人は終戦間際の1年しか徴兵されず
内地の勤労動員だけでだけで済まされてたが、志願兵の朝鮮人が死亡したら日本人と同じく英霊として祀られてた。
100キロだった鉄道が6000キロも引かれてしまった。
どこでも港がつくられて、どこまでも電機が引かれてしまった。
会社がつくられるようになって、物々交換から貨幣経済に転換させられた。
二階建て以上の家屋がつくられるようになってしまった。
秀げ山に6億本もの樹木が植林され、溜め池がつくられてしまった。
なお、今あるため池の半分もいまだに日帝製。
道路や川や橋が整備されてしまった。
耕作地を2倍にされた。
近代的な農業を教えられたせいで、1反当リの収穫量が3倍に増えてしまった。
風習とはいえ、乳を出したリして生活するのがとても恥ずかしくなってしまった。
・・人間のやる事では無い!まさに鬼畜の所業である。チョッパリ共は今スグに輝かしいあの生活を返しなさい 朝鮮を整備したのは、中国侵略を見越してだからなあ。 >>721
んなシナチョンの妄想なんぞ知らんがなw
ロシアの侵略に対抗するためだわ どんな大義名分や錦の御旗を掲げようと侵略の事実は世界中の歴史に刻まれ世界人類が学校で教わる 世界人類w
ああ、世界の教科書じゃチョンは日本や中国の属国扱いなんだってなw ジャップが掲げるのは生理ナプキンだったなメンゴメンゴw ペプシコーラで日本のパクリ国旗がどうかしたのか?w 国旗という触れ込みはなかったのに自ら生理ナプキンが国旗と認める非国民め そりゃバカチョンがいってるんだからそう解釈するよな ネトウヨ脳内変換だとそうなるのか、こりゃ厄介だわw 当時の朝鮮半島の平均寿命が24歳のソースってどこ? >>735
統治前のデータはどこにあるんだ?チョン族屑チャンコロw
【李朝時代末当時の証言】「朝鮮事情(仏人宣教師シャルル・ダレ神父/平凡社東洋文庫)」1874年
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『1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもい た。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮・人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ』
日本人は永遠に反省しろ!大韓帝国5000年の歴史を一瞬にして崩壊させ
36年に及ぶ日本帝国主義支配の際に日帝が朝鮮にした恐ろしいことがコレだ!
朝鮮半島の人口が2倍に増えてしまった。
24歳だった平均寿命が30年以上も伸ばされてしまった。
人口の30%を占めていた奴隷が解放された。
幼児売春や幼児売買が禁止された。
家父長制が制限された。
度量衡が統一された。
家畜扱いだった朝鮮女性に名前がつけられるようになってしまった。
忘れられていたハングル文字が整備され、標準朝鮮語が定められた。
朝鮮語教育のための教科書、教材が大量に作成され、持ち込まれてた。
5200校以上もの小学校がつくられ、師範学校や高等学校もあわせて1000校以上つくられた。
239万人が就学して、識字率が4%から61%に上げられてしまった。
伝統医療法だったカルト呪術医療が禁止されてしまった。
上下水道が整備された。
入浴を強制され、泥水すすって下水垂れ流しの生活ができなくなった。
日本人はずっと徴兵されていて戦場で大量に死んだが、朝鮮人は終戦間際の1年しか徴兵されず
内地の勤労動員だけでだけで済まされてたが、志願兵の朝鮮人が死亡したら日本人と同じく英霊として祀られてた。
100キロだった鉄道が6000キロも引かれてしまった。
どこでも港がつくられて、どこまでも電機が引かれてしまった。
会社がつくられるようになって、物々交換から貨幣経済に転換させられた。
二階建て以上の家屋がつくられるようになってしまった。
秀げ山に6億本もの樹木が植林され、溜め池がつくられてしまった。
なお、今あるため池の半分もいまだに日帝製。
道路や川や橋が整備されてしまった。
耕作地を2倍にされた。
近代的な農業を教えられたせいで、1反当リの収穫量が3倍に増えてしまった。
風習とはいえ、乳を出したリして生活するのがとても恥ずかしくなってしまった。
・・人間のやる事では無い!まさに鬼畜の所業である。チョッパリ共は今スグに輝かしいあの生活を返しなさい >>736
つ朝鮮総督府『統計年報』
つか平均寿命もまともに調べられない時点で終わってんだろ
日本統治前のチョン国w
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」
「(韓国社会は)姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」
― 朴正煕選集2 国家・民族・私 p.234
「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」
「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、
この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」
― 朴正煕選集2 国家・民族・私 p.238
日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。
― 金完燮 日韓「禁断の歴史」p.212 >>738
統計年報のどこにかいてあるのかな?
具体的に示してみなよw
まあ捏造だから無理だろうけどw 国民の半数が死んだって書いてあるけど
統計はどこにあるの?w
ちなみに日本の飢饉では死人の人肉を食ったり
人肉に草などを混ぜて犬肉として売ったりしてたんだぜw >>738
wikiの朝鮮総督府のページに書いてあるし自分で調べろよ
チョン族屑チャンコロw
>>739
一次資料に書いてあるじゃんw
人肉なんて今でもシナチョンやってるじゃん
人肉カプセルも知らないの?チョン族チャンコロw >>742
日本統治前のデータはどこにあるの?w
なんで数年のデータしかないの?w
つか平均寿命もまともに調べられない時点で終わってんだろ
日本統治前のチョン国w
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 >>742
おまえ、NG登録にしてスルーするんじゃなかったのかよw
南京スレのbotチャンコロw
「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」
「(韓国社会は)姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」
― 朴正煕選集2 国家・民族・私 p.234
「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」
「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、
この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」
― 朴正煕選集2 国家・民族・私 p.238
日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。
― 金完燮 日韓「禁断の歴史」p.212 >>741
統計もまともにとらずに、外国人の記録しかない時点で終わってんだろ
おまえの祖国のバカチョン国w
【李朝時代末当時の証言】「朝鮮事情(仏人宣教師シャルル・ダレ神父/平凡社東洋文庫)」1874年
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『1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもい た。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮・人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ』
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 朝鮮の民間療法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%B0%91%E9%96%93%E7%99%82%E6%B3%95
12,3歳の童の小便を服用する
人肉の粥を食べる
美人の経水を飲む
犬の糞水を一日2〜3回飲む
農家で長年使った小便溜桶を煎じて飲む
青蛙の卵10胞を4〜5日に食べる
人肉または人の陰茎を食べる
父には子が夫には妻が薬指を切り、血を死人の頭上にそそぎかける -日本に併合された後の朝鮮-
・朝鮮が無計画な浪費で返済不能になっていた
莫大な借金(外国からの借金+国債)を日本が肩代わりしてチャラにした。
・日本の国家予算で学校などの教育機関や裁判所、上下水道、公園、
病院、警察署、道路、 水力発電所、農地、鉄道などの文化的生活に必要な施設を作った。
・日本の金で朝鮮全土に5000校もの近代小学校を建設し
近代教育をしてハングルを必修で学ばせた。
・日本の技術と資本により2次産業を9倍も成長させると同時に1次・3次産業も大幅に伸ばした。
・医療と衛生環境を向上させて平均寿命を26歳から42歳にまで飛躍的に延ばした。
・人口を2倍まで増やし、その人口が全員が食べていけるほどの驚異的な食料供給力を与えた。
・世界中のどの国も金を貸したがらない極貧後進国に
貸し倒れも恐れずに世界一安い金利で金を貸し与えた。
・発展のために必要な資金や資材などの「物的支援」だけでなく
「人的支援」「技術支援」も同時に行った。
∧∧
/ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ) < 厳しく躾けて世界最下層の民族だと教え込んだのに・・・
( O ) \______________________
│ │ │
(__)_)
∧∧
/ 支 \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( `ハ´) < 勝手に普通の民族扱いしちゃったのは誰!?
(m9ヴィシ! つ \__________________
.人 Y
レ'(_) 『The New Korea』アレン・アイルランド
・物質的成長
韓国全人口の82%程度が農業に直接的に依存して生計を維持している。耕作地は1912年1060万エーカー(約42897平方km)から1923年にはほぼ1500万エーカー(約60704平方km)まで増えた
(1年間に同じ土地で二つ以上の作物を耕作した場合は、その地域はそれぞれの作物別に計算された)。
同じ期間農作物の生産高は4億3500万円から11億6900万円まで増えた。このような増加は多くの部分が農民たちの状況を改善するために政府が取った措置によるものだった。
これらの措置には多様な農業資金貸付機構構成、荒蕪地開墾、灌漑施設建設、農業方式改善、そして新しい農産業導入などが含まれるだろう。
政府の始めての措置と関連して1921年には未償還農家貸出総額が500万円未満だったが1923年には1億3400万円以上に増加し、この増加額のほとんどが農業発展のための色々な種類の投資を反映している事実は注目に値する。
あたらしい農産業を導入した例えとして養蚕業を挙げることが出来る。1910年韓国の養蚕生産品の総価値は40万円にしかならなかったが1923年にはほぼ2600万円まで増加した。
農業と密接に連関しているのが林業である。既存の朝鮮(※)の法は山林の保存にはほとんど無関心だった。
その結果日韓併合当時、焚き木と建築用の木材が深刻なほど不足していた。さらに問題だったのは木が消えた山の腰(※山腹)が雨季に降る暴雨をこれ以上吸収できないというものだった。
よって毎年深刻な洪水が発生、土地の自然的な水分供給は減っていった。いち早く1907年日本統監部は韓国政府に造林事業を施行するよう勧め、1911年総督部は新しい林業規定を発表した。
同じ年、総督は植木日(※植樹祭)を制定した。韓国の山林を復旧するために併合以来1億本以上の苗木が植えられた。政府はさらに進み、林業組合を奨励した。1925年350個の組合が構成され全体会員の数は100万人にも及んだ。
政府はまた韓国の漁業発展にも関心を示した。漁業方式や水産物保存及び包装方式改善のための措置が取られた。
1912年と1921年の間漁獲量の価値は800万円から4500万円に、鮮魚輸出額は13万8000円から700万円以上に、輸出した加工水産物の価値は200万円未満から1100万円以上にそれぞれ増加した。
鉱業分野での生産高の価値は1912年約700万円から1921年には1500万円以上に増えた。主な金属と鉱物の中で金の生産量はすこし減った反面、他の物ははっきりと増加した。
石炭は50万円から300万円を少し超える程度に増加し、鉄鉱石は15万600円からほぼ200万円に、銑鉄は生産が皆無な状態から500万円に、精鉱は27万5000円からほぼ500万円水準までそれぞれ増加した。
製造業の場合、旧韓国政府の下で通商や産業発展が深刻に阻害されていたことが判る。
これは通貨制度の慨嘆すべき状況、安逸で腐敗した法治、開発という普遍的問題と多様な産業分野での科学的研究に基づく恵沢に対する政府の関心不足などが原因だ。
それぞれの問題について総督部は広範囲な改革を断行した。その結果は上の表で確認できることだろう。 >>744
併合してる最中に貧窮層が爆増してるのに
併合以前とかなんの意味もないよw
で、平均寿命が24歳のソースはまだ?
そりゃお前がタイトルだけ出した文書には
平均寿命24歳なんて書かれてないから出せないわなw >>750
はあ?wikiにもソースあるしw
激増って世界的不況だった数年だけじゃねえかw
それと貧窮者の定義をだせよ、チョン族屑チャンコロw
wikiに文句言って来いよw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C
併合時(1910年)に24歳だった平均寿命は、1942年(昭和17年)には45歳へ伸びた[2][3]。
併合前は国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 >>750
おい、なんでおまえ俺のレスが読めるんだ
NG登録はどうした、チョン族屑チャンコロw
都合の悪い書き込みはスルーするのはいつもの通りだなw
『The New Korea』アレン・アイルランド
・物質的成長
韓国全人口の82%程度が農業に直接的に依存して生計を維持している。耕作地は1912年1060万エーカー(約42897平方km)から1923年にはほぼ1500万エーカー(約60704平方km)まで増えた
(1年間に同じ土地で二つ以上の作物を耕作した場合は、その地域はそれぞれの作物別に計算された)。
同じ期間農作物の生産高は4億3500万円から11億6900万円まで増えた。このような増加は多くの部分が農民たちの状況を改善するために政府が取った措置によるものだった。
これらの措置には多様な農業資金貸付機構構成、荒蕪地開墾、灌漑施設建設、農業方式改善、そして新しい農産業導入などが含まれるだろう。
政府の始めての措置と関連して1921年には未償還農家貸出総額が500万円未満だったが1923年には1億3400万円以上に増加し、この増加額のほとんどが農業発展のための色々な種類の投資を反映している事実は注目に値する。
あたらしい農産業を導入した例えとして養蚕業を挙げることが出来る。1910年韓国の養蚕生産品の総価値は40万円にしかならなかったが1923年にはほぼ2600万円まで増加した。
農業と密接に連関しているのが林業である。既存の朝鮮(※)の法は山林の保存にはほとんど無関心だった。
その結果日韓併合当時、焚き木と建築用の木材が深刻なほど不足していた。さらに問題だったのは木が消えた山の腰(※山腹)が雨季に降る暴雨をこれ以上吸収できないというものだった。
よって毎年深刻な洪水が発生、土地の自然的な水分供給は減っていった。いち早く1907年日本統監部は韓国政府に造林事業を施行するよう勧め、1911年総督部は新しい林業規定を発表した。
同じ年、総督は植木日(※植樹祭)を制定した。韓国の山林を復旧するために併合以来1億本以上の苗木が植えられた。政府はさらに進み、林業組合を奨励した。1925年350個の組合が構成され全体会員の数は100万人にも及んだ。
政府はまた韓国の漁業発展にも関心を示した。漁業方式や水産物保存及び包装方式改善のための措置が取られた。
1912年と1921年の間漁獲量の価値は800万円から4500万円に、鮮魚輸出額は13万8000円から700万円以上に、輸出した加工水産物の価値は200万円未満から1100万円以上にそれぞれ増加した。
鉱業分野での生産高の価値は1912年約700万円から1921年には1500万円以上に増えた。主な金属と鉱物の中で金の生産量はすこし減った反面、他の物ははっきりと増加した。
石炭は50万円から300万円を少し超える程度に増加し、鉄鉱石は15万600円からほぼ200万円に、銑鉄は生産が皆無な状態から500万円に、精鉱は27万5000円からほぼ500万円水準までそれぞれ増加した。
製造業の場合、旧韓国政府の下で通商や産業発展が深刻に阻害されていたことが判る。
これは通貨制度の慨嘆すべき状況、安逸で腐敗した法治、開発という普遍的問題と多様な産業分野での科学的研究に基づく恵沢に対する政府の関心不足などが原因だ。
それぞれの問題について総督部は広範囲な改革を断行した。その結果は上の表で確認できることだろう。 >>750
統計もまともにとらずに、外国人の記録しかない時点で終わってんだろ
おまえの祖国のバカチョン国w
【李朝時代末当時の証言】「朝鮮事情(仏人宣教師シャルル・ダレ神父/平凡社東洋文庫)」1874年
--------------------------------------
『1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもい た。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮・人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ』
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 平均寿命24歳のソースまだぁ?
いつになったら具体的に出せるの?
人口が半減したという統計もよろしくねw >>759
はあ?wikiにもソースあるしw
激増って世界的不況だった数年だけじゃねえかw
それと貧窮者の定義をだせよ、チョン族屑チャンコロw
wikiに文句言って来いよw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C
併合時(1910年)に24歳だった平均寿命は、1942年(昭和17年)には45歳へ伸びた[2][3]。
そもそもまともな人口統計すらない時点で終わってんだろ、李氏朝鮮w
併合前は国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 >>759
見事に一致してるな、貴重な一次資料だぞ
現実みろよ、チョン族チャンコロw
統計もまともにとらずに、外国人の記録しかない時点で終わってんだろ
おまえの祖国のバカチョン国w
【李朝時代末当時の証言】「朝鮮事情(仏人宣教師シャルル・ダレ神父/平凡社東洋文庫)」1874年
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『1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもい た。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮・人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ』
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 なんで平均寿命24歳の具体的なソースが出せないのかな?w
そりゃその文書にはそんなことが一切書かれてないんだから出せるわけないわなw
ネトウヨの捏造サイトを鵜呑みにする馬鹿無職w >>762
見事に一致してるな、貴重な一次資料だぞ
現実みろよ、チョン族チャンコロw
統計もまともにとらずに、外国人の記録しかない時点で終わってんだろ
おまえの祖国のバカチョン国w
【李朝時代末当時の証言】「朝鮮事情(仏人宣教師シャルル・ダレ神父/平凡社東洋文庫)」1874年
--------------------------------------
『1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもい た。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮・人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ』
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 >>762
おまえも大好きなwikiも捏造w
激増って世界的不況だった数年だけじゃねえかw
それと貧窮者の定義をだせよ、チョン族屑チャンコロw
wikiに文句言って来いよw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C
併合時(1910年)に24歳だった平均寿命は、1942年(昭和17年)には45歳へ伸びた[2][3]。
そもそもまともな人口統計すらない時点で終わってんだろ、李氏朝鮮w
併合前は国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 一晩経過したけど未だに平均寿命24歳の具体的なソースなしw
今頃必死にグーグルで検索してるんやろなぁw >>765
統計もまともにとらずに、外国人の記録しかない時点で終わってんだろ
おまえの祖国のバカチョン国w
【李朝時代末当時の証言】「朝鮮事情(仏人宣教師シャルル・ダレ神父/平凡社東洋文庫)」1874年
--------------------------------------
『1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもい た。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮・人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ』
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 はあ?wikiにもソースあるしw
激増って世界的不況だった数年だけじゃねえかw
それと貧窮者の定義をだせよ、チョン族屑チャンコロw
wikiに文句言って来いよw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C
併合時(1910年)に24歳だった平均寿命は、1942年(昭和17年)には45歳へ伸びた[2][3]。
そもそもまともな人口統計すらない時点で終わってんだろ、李氏朝鮮w
併合前は国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 しかし米一升でシナーに自分の娘売り渡すとか、どんだけ鬼畜なんだよチョンはw
ほんと、日本様に頭あがらないねw プロテスタント宣教師で神学博士のアーサー・J・ブラウン(1856~1963)
「(日露戦争での)日本の勝利は、日本だけでなく、朝鮮、中国、そしておそらく世界に新しい時代をもたらし、極東政治の形勢を一変した。
日本は、第一級の大国の一員として認められ、あらゆる場所で、ロシアの威光は弱まった。それは日本の指導下で、朝鮮が再建されることを意味した。
そして、人類の3分の1以上を占める極東の大勢の人々が、ロシアの有害な絶対主義の影響に呑(の)み込まれてしまうかもしれないという恐怖を、消し去ったのである。
私には、ロシアを否定することで、日本を称賛しようという意図はない。しかし、日本が極東でロシアの進出を食い止めたことは、
日本が西洋と接した半世紀の間に、ロシアが5世紀かけてなした発展よりも、もっと決定的に重要な進歩を成し遂げたということである。
日本は完璧からはほど遠いが、朝鮮と満洲南部がロシアではなく日本の影響下で発展することは、人類にとって良いことだった」 そんな妄想してるならさっさと帰国すればいいのに
バカチョン グローバル化が嫌なら出ていけばいいのにバカジャップ グローバル化なら好きな国に行けばいいのに
嫌いな国に住みつくバカチョンw ネトウヨって江戸時代の鎖国令から進歩しない残念な人の事を指すのかw
・朝鮮出兵で返り討ちに遭い涙目敗走
・黒船来襲で脱糞右往左往
・第二次大戦で奴隷にコテンパンのボロ雑巾にされ
これで自分の劣等性を自覚しないとなるともはやADHD んで日本様に土下座して併合してもらって文明化したバカチョンっと
併合前は国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」 プロテスタント宣教師で神学博士のアーサー・J・ブラウン(1856~1963)
「(日露戦争での)日本の勝利は、日本だけでなく、朝鮮、中国、そしておそらく世界に新しい時代をもたらし、極東政治の形勢を一変した。
日本は、第一級の大国の一員として認められ、あらゆる場所で、ロシアの威光は弱まった。それは日本の指導下で、朝鮮が再建されることを意味した。
そして、人類の3分の1以上を占める極東の大勢の人々が、ロシアの有害な絶対主義の影響に呑(の)み込まれてしまうかもしれないという恐怖を、消し去ったのである。
私には、ロシアを否定することで、日本を称賛しようという意図はない。しかし、日本が極東でロシアの進出を食い止めたことは、
日本が西洋と接した半世紀の間に、ロシアが5世紀かけてなした発展よりも、もっと決定的に重要な進歩を成し遂げたということである。
日本は完璧からはほど遠いが、朝鮮と満洲南部がロシアではなく日本の影響下で発展することは、人類にとって良いことだった」 ◆1919年生まれのM・ユスフ・ロノディプロ氏の体験
オランダによってインドネシアは十七世紀以来、三百五十年も占領されていました。
オランダの統治時代の生活は酷いものでした。
というのは、オランダがこの地に来たのは、この国で生産されたものをヨーロッパに持っていくためだったからです。
それが、植民地主義の始まりでした。
今私が住んでいるのはジャカルタ市の中心地ですが、オランダ時代は、インドネシア人は住むことが出来ない地区でした。
殆どの人々には教育の機会がなく、読み書きが出来ない子供たちも沢山いました。
それはインドネシア人を無知蒙昧のままにしておくというオランダ政策の一つだったのでした。
オランダ人は原住民であるインドネシア人に対して、はっきりと下等階級という扱いをしていました。
小さい頃の私をもっと傷つけたのは、町の中心地にあったスイミング・プールでした。
プールの入り口には大きな看板があり、「犬とインドネシア人の立ち入り禁止」と書かれていました。
第二次世界大戦前、アジアのほとんどの国は白人たちの植民地となっていました。
それを、日本が白人たちと戦うことによって解放したということは間違いのない真実です。
それは始まりからそうだったのです。
つまり、それは1904年の日露戦争からでした。
私は第二次世界大戦前から、日本がロシアに勝ったことを知っていました。
そして、日本の発展していく様を見てきました。
当時私は、日本はアジアを代表する国だと思いました。
日本のお陰で、白人だけが強いのではない、私たちもまた強くなれるのだと思うことが出来たのです。
日本の日露戦争の勝利は私たちを非常に勇気付けたのです。
日本は、当時アジアで唯一白人と対等だった国でした。
私たちインドネシア人はきちんとした教育も受けられず、何の権利もなく、白人に対して自分たちは劣っていると考えていました。
自分たちが白人と対等になれるとは思っていませんでした。
そしてまた、日本以外の一体誰がアメリカを攻撃しようなどと思ったでしょうか。
それを実行したのは唯一日本でした。
日本だけが、アジアを支配し続ける白人に立ち向かっていったのです。
日本がインドネシア人に行った訓練は非常に重要なものでした。
それは肉体的に鍛えただけではなく、インドネシア人を精神的にも鍛えたのです。
そして私たちは大きな成長を遂げました。
もし日本がいなければインドネシアの独立までには、さらに百年かかっていたかも知れません。
それを、日本はたったの三年半に縮めたのです。 プロテスタント宣教師で神学博士のアーサー・J・ブラウン(1856~1963)
「(日露戦争での)日本の勝利は、日本だけでなく、朝鮮、中国、そしておそらく世界に新しい時代をもたらし、極東政治の形勢を一変した。
日本は、第一級の大国の一員として認められ、あらゆる場所で、ロシアの威光は弱まった。それは日本の指導下で、朝鮮が再建されることを意味した。
そして、人類の3分の1以上を占める極東の大勢の人々が、ロシアの有害な絶対主義の影響に呑(の)み込まれてしまうかもしれないという恐怖を、消し去ったのである。
私には、ロシアを否定することで、日本を称賛しようという意図はない。しかし、日本が極東でロシアの進出を食い止めたことは、
日本が西洋と接した半世紀の間に、ロシアが5世紀かけてなした発展よりも、もっと決定的に重要な進歩を成し遂げたということである。
日本は完璧からはほど遠いが、朝鮮と満洲南部がロシアではなく日本の影響下で発展することは、人類にとって良いことだった」 >プロテスタント宣教師で神学博士のアーサー・J・ブラウン(1856~1963)
チョン「あーあー見えない聞こえないニダー」 セオドア・ルーズベルト大統領1910年8月22日、
日韓併合条約調印演説
「日本による野蛮国朝鮮の解放は人類にとって幸福になるばかりか、
それはWhite burden(白人の有色人に対する責任)
ならぬYellow burden(黄色人種に対する責任)
を担う日本の明らかな運命・Minifest DeStinyではないのか、
ましてこれに対する一撃すら与えることのできない無能で野蛮な民族、
集まれば争い分裂することを事にしている朝鮮人、
かりに統一国家が形成できたにせよ、朝鮮がアジアにおいて何の脅威にもならないと、判断した」 併合の後に行った植民地支配や侵略を知らないからな。 あれは酷かった……。
まさに家畜奴隷の扱い、抵抗したら容赦なく殺害され食われた。
中には生きたまま食われた者も居たと聞いた。 エド・リー サンフランシスコ市長の正体 サンフランシスコ市庁に五星紅旗を掲げる 土下座して赦しを乞う大韓人を銃底で叩きのめし、生きたまま焼かれた被害者達… 拉致して連れて来られて手枷足枷で逃げられなくされたニダ
補償と謝罪を受け取らずに祖国の土は踏めないニダ >>797
好き好んで住み着いたくせに
今と変わらねんじゃん
ヘル朝鮮が嫌だから逃げてきた棄民w まるでこれ↓
「おられんごとしてやるけんな」 お中元が“安価で質素” 脅した容疑で暴力団組長を逮捕 福岡県警
11/13 (月) 16:01 配信
福岡県警暴力団犯罪捜査課と朝倉署は13日、福岡県朝倉市、暴力団山口組傘下組織組長の男(62)を暴力行為法違反容疑で逮捕した。
逮捕容疑は、福岡県内に住む男性から「お中元」名目で贈られた贈答品が「安価で、質素だ」と激高し、
7月23日、携帯電話で男性に
「お前、そこに住んでおられるとは、だれのおかげと思いよるとか!」
「おられんごと、してやるけんな!」
などと、団体の威力を示して脅迫した疑い。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171113-00010005-nishinpc-soci 誰のおかげだ!
彡⌒ミ
(( ∩*`Д´) )) ファビョ━━━ン!!
〉 つ
(<⌒)ノ
ヽ,_,フ 〃∩ ∧_∧ ハイハイ
⊂⌒<ヽ`∀´> 納税者の
`ヽ_っ⌒/⌒c おかげでーす♪
⌒ ⌒ セオドア・ルーズベルト大統領1910年8月22日、
日韓併合条約調印演説
「日本による野蛮国朝鮮の解放は人類にとって幸福になるばかりか、
それはWhite burden(白人の有色人に対する責任)
ならぬYellow burden(黄色人種に対する責任)
を担う日本の明らかな運命・Minifest DeStinyではないのか、
ましてこれに対する一撃すら与えることのできない無能で野蛮な民族、
集まれば争い分裂することを事にしている朝鮮人、
かりに統一国家が形成できたにせよ、朝鮮がアジアにおいて何の脅威にもならないと、判断した」 仕掛けられたのはこっちなんだが、なにいってんだタクマニア あらあら、他国の被虐発言は許さないのに自分は・・・ プロテスタント宣教師で神学博士のアーサー・J・ブラウン(1856~1963)
「(日露戦争での)日本の勝利は、日本だけでなく、朝鮮、中国、そしておそらく世界に新しい時代をもたらし、極東政治の形勢を一変した。
日本は、第一級の大国の一員として認められ、あらゆる場所で、ロシアの威光は弱まった。それは日本の指導下で、朝鮮が再建されることを意味した。
そして、人類の3分の1以上を占める極東の大勢の人々が、ロシアの有害な絶対主義の影響に呑(の)み込まれてしまうかもしれないという恐怖を、消し去ったのである。
私には、ロシアを否定することで、日本を称賛しようという意図はない。しかし、日本が極東でロシアの進出を食い止めたことは、
日本が西洋と接した半世紀の間に、ロシアが5世紀かけてなした発展よりも、もっと決定的に重要な進歩を成し遂げたということである。
日本は完璧からはほど遠いが、朝鮮と満洲南部がロシアではなく日本の影響下で発展することは、人類にとって良いことだった」 https://i.imgur.com/4WCMpfq.jpg
日本がアジアを解放した?
これを見てもまだそんなことが言えんの? 結果論なんか引き合いに出して何の意味があるのか
友達の財布盗んであまりにも友達が困り果ててるからって返してあげたら赦されるのか
侵略目的の武力侵攻、これが世界の認識だ その通り。侵略目的で中国に派兵したんだから
確信犯。何が解放だ。 >>812
盗むようなもんシナチョンになかったやん
与えるようなもんばっか 侵略目的?条約上合法的に駐留してただけだが
まともに条約守らないシナチョンが悪いな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています