>>301
>>>298
>郵便貯金がそーいう目的にも使われてたってのはあるだろうけど、ラジオ体操は「保険金払いたくねぇ」っていう逓信省簡易保険局がNHKとグルになって始めたんじゃなかったっけ?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E4%BD%93%E6%93%8D

>放送開始に先立つ1923年に保険事業に関する調査のため訪米した逓信省の猪熊貞治簡易保険局監督課長が
>メトロポリタン生命保険会社のラジオ体操の企画を知り、1925年7月に『逓信協会雑誌』で紹介した。猪熊は1927年
>8月、簡易保険局の会議において昭和天皇即位を祝う事業としてラジオ体操を提案[5]。1928年5月24日に簡易
>保険局、日本生命保険会社協会、日本放送協会の三者が体操の考案を文部省に委嘱した[6]。文部省では体育
>課長の北豊吉を委員長とし、体育研究所技師の大谷武一などを委員として検討を重ね[7]、10月29日に「国民
>保健体操」の名称で発表、同年11月1日7:00に天皇の御大典記念事業の一環として東京中央放送局で放送を
>開始した。

>同局で放送を担当したのはラジオ体操のために採用された元軍人(軍楽隊学長)の江木理一アナウンサー[8]。
>彼は初回からブリーフパンツ1枚でマイク前で体操していたのであるが「照宮成子内親王もラジオ体操に御執心なり」
>と聞き及ぶや濃燕尾服に蝶ネクタイを締め、正装に身を包んだ上で放送に臨むようになった。

ブリーフに蝶ネクタイでないところが非常に残念だが、あの時代としてはたいへん奥ゆかしいと思いませんか、あなた?