ハルノートが提示された時には、すでに真珠湾奇襲へ向かう日本の機動部隊が集結地に集合してる最中

陸軍も南方へ向かう船団と護衛の海軍の手配済みなんだから、アホでも「日本はハルノートで追い込まれ、戦争するしかなかった」なんて物理的に有り得ないことは判る事だ


時系列としては11月1日に、従来とは逆の開戦を主、外交解決を従とし、開戦は12月初頭と決定する「帝国国策遂行要領」を策定、7日に御前会議で決裁を得る。
さっそく外務省はワシントンで対米交渉中の野村大使あてに、交渉期限を11月25日までと打電する。

日本は外交解決を諦めたと知った野村大使は、私案としてアメリカに譲歩の可能性を提示し交渉を継続する。
アメリカは日本に譲歩する「暫定協定案」を用意し、その裏書きとして原則をならべたハルノートを作製。

11月25日、日本が戦争準備を進めていることを察知した(解読できていた日本の外交暗号だけでは判らなかった)アメリカは不快感を抱き、暫定協定案を出さずハルノートだけを提示する。

12月1日、開戦を御前会議で決定したときには、すでに日本の機動部隊は日付変更線をとっくに越え、ハワイの北方約1千数百キロのところまで接近していた。


つまり開戦より1月以上前の11月1日に日本は対米戦争を既に仕掛けようとしていた

野村大使が回避の道を切り開こうとするとも、暫定協定案が出てくるとも知らぬままに。

「ハルノートで戦争せざるをえなかった」のんて言うのは戦後に自称愛国者の馬鹿が日本は被害者だと仕立て上げる為に用意した体のいい言い訳