日本は、中国の重慶に対して無差別絨毯爆撃を実行した。
それは、「蛮行(ばんこう=野蛮な行為。乱暴で無作法な行為)」として世界からに非難された戦時国際法違反のナチス・ドイツ空軍コンドル軍団によるスペイン・ゲルニカ無差別爆撃を見習ったなったものであったが、
空爆は、主に海軍によって行われた.
空爆によって都市を破壊し、一般市民をも戦禍に巻き込むことで、敵国民の抗戦意思を削ぐことを主たる目的としたのが無差別絨毯爆撃であったが、
人間としての良心一欠片もない破壊が長期的に継続して敢行されれば、どのような大国でも長く抵抗し続ける事はできないこととなるという考えに基くものであった。
日本軍は、1938年10月27日大作戦の結果、武漢三鎮や広東等の要衝の確保と占領地確保の困難さに遭遇しており、その上、軍事動員力も限界に達し、戦況は手詰まりの状態であった、
その打開策が、つまり頑強に抵抗する国民政府壊滅のために取った戦術が、海軍航空部隊による首都重慶に対する無差別空爆であった。