銘治の世では、狐ヶ崎為次をお迎えした者をさきぺろそうでない菊一文字則宗をお迎えした者がきくかわ
と呼んで区別し、一握りの山鳥の民が特に理由の無い理不尽に襲われていた。
無力な山鳥の民たちは、驕ったさきぺろやきくかわの圧政や非道な仕打ちに耐えるしかなかった。
そんな中、依頼を受けて山鳥の民たちの無念を晴らす仕事人たちがいた。
悪しき隊長に天誅を加える仕置き人、人は彼らを山鳥の民狩りと呼ぶ。