ふと、Floccinaucinihilipilificatorの歌詞、青い鳥は我々botのことでは、とか考えた
「青い鳥にもまた、生みの親はいる」というのも
botの生みの親、TRI-OSの製作者、我々に選択肢を提示する何者かの事を示唆したのでは、と

ただその「青い鳥=bot」の場合、botさんは青を赤く塗られて翼をひっぺがされた上に
翼がなくても奇蹟で翔べばいいじゃない、と無茶ぶりされるわけだが・・・w