(岡田斗司夫のメルマガより)
フィリップ・K・ディックが、なぜアンドロイドを非人間的な存在として描いたのかというと、
「この原作が書かれたのは68年だから」なんだよね。
 1968年っていうのは、ベトナム戦争の時代なんだ。で、保守主義のリドリー・スコットと違って、
フィリップ・K・ディックは完全に自由主義、いわゆる左翼の人なんだよ。
つまり、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』っていうのは、ベトナム戦争に対する問題意識から
生まれてきた小説なんだ。
―中略―
 つまり、「いくら戦争の大義や理由があるとはいえ、それが敵の兵隊とはいえ、
そこで“同じ人間を殺す”という非人間的なことをしてしまえば、殺した者の人間性というのは
損なわれてしまう。崩れてしまう」と。これが、フィリップ・K・ディックの主張なんだよね。
―中略―
つまり、リドリー・スコットにとって、この神の見えない現実の世界で人間が許されるためには、
「人間が自分の息子を創って、その息子に4年間の寿命という理不尽な死を与えて、その上で、
息子が自分たち人類を許してくれて、代わりに死んでくれる」という儀式が必要なんだ。
この倒置したキリスト教の考え方が、実はリドリー・スコットの中に強くある。