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の続き

平成9年に東京の千代田区は大手町に本部のビルが11階のビルが建っていた移転前の
全国農業協同組合中央会の経営課から
日本各地の47都道府県にある農業協同中央会の経営監査部に、正式文書と紙の資料で
【JA全中作成 JA経営分析システム CMI(シーエムアイ)】がA3版の厚い紙の束で送付されてきた。
文書とCMIの資料は、経営監査部の部員全員にシャチハタ印を押して回覧してから
担当者が決められる部内の制度だった。
部長が武田進で経営監査課長が佐藤遵で課長補佐が3人いて、
佐藤眞人(当時37歳)と伊藤真澄(当時37歳)と佐藤孝喜(当時39歳)と
副調査役では東海林斉(当時35歳)らがいた。
すると【CMI(シーエムアイ)の正式文書と紙の経営分析表】
は、平成8年秋以後、
経営分析コンピューターシステムとして、使えるように、東京の全国農業協同組合中央会(JA全中)の経営課で、外注して
コンピューターシステムプログラム開発している最中であり、
県中やJAに完成品が届くまでは、手作業で、【CMI(シーエムアイ)】を都道府県内のJAの経営指導に活用して下さい、という内容文だったな。

平成8年夏秋からの当時、課長補佐の佐藤孝喜(当時39歳)が、
自分の席に【CMIの文書と資料】を隠して経営監査課のなかで1人で業務を
独占しようとしたのだった。

コーポレートマネージメントインテリジェンス経営分析のCMI (シーエムアイ)じゃ、
転職は無理だ、手癖のある佐藤孝喜(本名さとうこうき・2018年現在60歳)は
頭脳の底が浅いから、回覧されてきた資料隠しするのだった。