秋田県農業協同組合中央会には職員親睦を目的とした「軟式野球部」が平成8年まで存在した。
ユニホームは当初は「灰色の生地に縦じまの黒色ストライブ」で「アマチュア日本代表オリンピック予選モデル」と
よく似ていて日の丸が胸についていないだけで帽子の色は黒色だった。背番号は職員の選手が自由に選んでいた。

昭和63年から秋田県j農協中央会の軟式野球部のユニホームは高校野球の甲子園の古豪の
「秋田市立秋田商業高校の野球部とそっくり」にされた。白色の生地にえんじ色の背番号で帽子も白でAのマークを刺繍していた。
背番号はアマチュア野球規約にのっとり監督30番で主将10番で選手は1番から29番までしか選べないようになって
しまっていたようだった。

近藤悦応(本名こんどう えつおう)の当時34歳のときの投球フォームとは。
ピッチャーマウンドのホームプレートを投球ごとに左右に位置をずらして踏む。
投球フォームは両手でグローブを胸にいったん合わせ胸からすり上げてワインドアップするがグローブのトップ位置は頭の前で止める。
胸の位置にグローブを戻しタイミングをとるように50センチほど左足を上げるのだが左足と胴を後ろ少しもひねらない。
投球の歩幅は見た目で1メートルほどの立ち投げで、ボールを持つ右手は右わきの下から右肩の後ろに右ヒジを後ろにクイックモーションで引いて
右腕を上に伸ばさないオーバースロー、右肩口から右ヒジを先に前に出し「右の肘から手で握ったボールまでの腕だけ」で
短い軌道でクイックモーションで投げる。
軟式野球だが近藤悦応(本名こんどう えつおう)の球速は時速120キロ〜105キロを投げていて外角低めへのコントロールがよい。

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秋田県農協中央会に「元高校球児だった40歳代の男の連合会正職員たち」が出向させられた課長級の役職の男たちに
背番号を51番、55番、60番、77番を
秋田市立秋田商業高等学校の野球部そっくりのユニホームの背中に刺繍して番号表示するよう発注して
彼らに着せたのは私(bt)の意図があってのことだ。