JA秋田中央会に新卒の正職員として無期雇用契約を結んで私(T)は就職して10か月で、
秋田県JAビルの1階でJA組合長や幹部職員と顔を会わせての職務をする辞令を受け取り人事異動を1991(平成3年)2月1日付でした。
私(T)が新人のときにJA秋田中央会の経営監査部の経営監査課で机を向かい合わせていた経験9年の
宮野寿一(みやの じゅいち)氏をまず人事評価で追い抜いた。
現場での私(T)の最初の仕事は【JA追分のJA共済掛け金窓口現金の女性職員による3,000円横領事件】という刑事事件であった。
宮野寿一(みやの じゅいち)氏は、私(T)に対して能力でも監査の国家資格の試験の合格の年次でも、完全に敗北した大人の男である。
私(T)の知らぬ間に宮野寿一は上役におねだりして、Tの担当している現場の地区担当をやってみたいんですと無理やりポジションを奪いに来た。
そして宮野寿一氏が経営監査課の事務分掌表の地区担当に氏名を連ねることになった。
☆【私(T)は1990(平成2年)当時から宮野寿一(みやの じゅいち)の下ではない!】
私(T)の仕事は必ず結果を出してきたのに対し、宮野寿一(みやの じゅいち)氏の仕事は結果が出ないよね。
試験でも宮野寿一(みやの じゅいち)氏の発言は次の通りであった。
宮野寿一氏の話し:「自分の受験した結果が不合格だが試験とは(試査の範囲)であって出題問題と勉強したところが合わないだけだ。」
宮野寿一(みやの じゅいち)さんは15歳の中学校3年生のとき秋田県秋田市にある高校受験をし不合格となり、
1年間の高校浪人をして秋田県立秋田南高等学校普通科に入学した。
この手の人種は、能力で正面から負けたことを受け止めきれず、能力以外のことで巻き返そうとするのである。
私(T)がJA秋田中央会に平成2年4月1日に就職し、経営監査部の経営監査課に配属された。
その部署で新人の私(T)は、2人の先輩の仕事の仕方のどちらかを見習わざるを得なかった。
二者択一で、皆方均(当時32歳)さんを見習い、宮野寿一(当時30歳)さんを反面教師とした。