Q. 神を疑う事はあるか?

真理を探求するうえで「自分は何故、神を信じてるのだろう?」とあえて疑った事はある。
意図を持って疑うというのかな、本気で神に疑問を持ってるわけじゃなくて、あえて疑う。
あえて疑って、自分で答えを見つける作業だよね。
漫画の探求も僕はそういう風に行って来た。
自分が今、考えてる事や感じてる事は本当に正しいのだろうか?
そういう自問自答が僕を作り上げてきた。

Q. あなたは何故、神を信じてるのか?

僕はもう、相当小さい頃から神と共にあったからね。
キリスト教系の幼稚園を卒園して聖書をもらってそれを読んでいた。
大天使ミカエルや堕天使ルシファーの事を小学生の頃から知っていて、僕はミカエルに憧れていたんだ。
母親は神社が好きで、よく僕を神社に連れて行った。
伊勢神宮にも出雲大社にも行ったよ。
その影響なのかな、僕は天照大神も大好きだった。
そういう子供だったんだ。
割と珍しいかも知れないね。
でも、そうした土台がある事は神を信じる理由としては大きいように思う。
だから疑おうとしても意図して疑わないと難しいんだよね。

Q. あえて疑った結果、どのような答えを導き出した?

“疑うと苦しいから信じるしか道がない”という事かな。
痛み止めの薬と同じでね、飲まないと痛くてしょうがないから飲むしか道がないというようなものなんだ。
何故疑うと苦しいのか?人によると思うけど、それはそれが真実だからだと思うんだ。
少なくとも僕にとってはそうだね。
真実であり進むべき道、とるべき行動、そこから外れようとするとそれを正そうとする力が働く。
働かない人も居るけど、その違いは霊性の違いだと思う。
例えば神を信じてる者は神の声を聴く事が出来る。
だから何か誤った方向に進もうとすると引き止められるんだ、苦しみによってね。
逆に神を信じてない者は神の声を聴く事が出来ないから、誤った方向に進んだとしてもブレーキが効かない。
だから犯罪や不正に手を染めるし、平気で嘘をつき人を陥れる事が出来る。
しかし、彼らは常に“渇き”の中に居て決して潤う事がない。
本当の幸せを得る事は出来ないんだ。
つまり…霊性が高ければ高いほど神の存在に気付くし、神からの助言と加護を貰う事が出来る。
神が正しき道を照らしてくれるんだ。
勿論、人は欲に弱い生き物で…何度もその道から外れては苦しむ事になるんだけどね。
だから僕は最近、意識改革を強めているんだ。
それは『常に神と共にある』というものだ。
それが幸せになる唯一にして最短の道だと気付いたからね。
そう、これからの僕は聖人君子のように生きるんだ。