山内のん?


戦後70年 戦争とアスリート 広島 <4> 陸上 山内リエ(1922〜2000年) 
女子走り高跳び・走り幅跳び元日本記録保持者

しかし、政府は国際情勢の悪化を受けて五輪開催を返上。
40年と44年の五輪は中止された。
伸び盛りの18〜20歳を戦時下で迎え、完全に競技を離れた。
「鬱々(うつうつ)とした楽しまない日々」。後のエッセーで当時の心境を語り、
終戦の日に一人、スパイクを磨いたことを明かしている。

 終戦直後は中国新聞社で健筆を振るったが、46年に京都を拠点として本格的に競技に復帰。
47年には走り幅跳びで日本人女性で初めて6メートル台を突破するなど、
世界でもトップ級の記録を連発した。
「短髪、ブルマーで、さっそうと跳ぶ姿を覚えている」。
日本陸連顧問の帖佐寛章さん(85)=千葉県船橋市=は記憶をたどる。

 だが、運命はどこまでも非情だった。
アスリートとして最後の輝きを放つはずだった48年のロンドン五輪に、
敗戦国・日本の参加は認められなかった。

この大会での女子走り幅跳びの優勝記録は5メートル695。
山内が持つ6メートル07の日本記録を大きく下回っていた。