「しかも、ユニットを組みながら、3人を別々に歌手デビューさせるという戦略を取ったんです。
歌唱力はいまいちでしたが、楽曲提供者はタケカワユキヒデ、後藤次利、細野晴臣といった売れっ子ばかり。
ところが、業界内の評価は高いのに、露出するメディアがなく、話題にもなりませんでした」
(音楽関係者) 
 
ある中堅プロオーナーは
「大手芸能プロA社が、各テレビ局に圧力をかけて、潰しにかかったんです。ほかの芸能プロも足並みを揃えた。
どの事務所もオスカーが芸能界に進出してくることに脅威を感じていたからです。
なにしろ、当時でもタレント予備軍を1000人以上抱えてましたから」
と振り返る。

ここで、古賀社長は
「圧力には屈しない、きっと見返してやる」
と、大手芸能プロとは競合しないような女の子の売り出し方に特化する。

歌番組やバラエティを主戦場とするのではなく、モデル事務所としての強みを生かして、ビジュアルの良さに特化し、
CMや雑誌で生きるような美女、美少女を発掘していく。その最高傑作が、後藤久美子だった。
「ゴクミは、芸能界のすれた印象がなく、それまでのアイドルとは違った畑から突如出てきた感じが新鮮だった。
国民的美少女コンテストは、あの感覚を再現するために行われているんじゃないでしょうか」
(前出・芸能関係者)
これと並行して、古賀社長は、ゴルフや接待などを通じて、広告代理店やテレビ局幹部とのパイプも強固にしていった。
「真っすぐな九州男児の古賀社長は、誰にでも好かれるタイプ」(同)。

そしていつしか、大手芸能プロからの圧力はなくなったという。

「オスカーがこれだけ大きくなったのに、音事協に加盟しないのは、かつて徒党を組んで邪魔してきた勢力がいるからというのもあるでしょう。
常にどこかで彼らに対抗心を持ち続けているのが、オスカーの原動力なんです」(同)
 芸能界での大規模オーディションの影響力が年々低下していく中で、オスカーが国民的美少女コンテストを20年以上も続けているのも、
他の大手芸能プロにはやれないことをやり続けるという意地がどこかにあるからなのかもしれない。
(編集部)