1994年にソグナル・フトボールでプロデビューをする。1995年トロムセに加入すると得点を量産、翌年SKブランへ加入後も40試合28得点を記録。この活躍によりプレミアリーグチェルシーFCへ移籍をした。

1997年、チェルシーへ移籍、1年目でレギュラーを獲得し15ゴールを記録、リーグカップとUEFAカップウィナーズカップの獲得に貢献。1999-2000シーズンには19ゴールを挙げチェルシーのFAカップ優勝とCLベスト8入りに貢献した。スーパーサブとして使われることも多かったが、チェルシーではジャンフランコ・ゾラとのコンビで活躍した。 その後、ジミー・フロイド・ハッセルバインクの加入によりベンチが多くなり移籍を求めた。

2001年よりスコットランドのレンジャーズへクラブ最高額の1200万ポンドで移籍した[2]。レンジャーズでは得点こそ取っていたものの、成功したとは言えず、2002年よりプレミア復帰を果たしたが、サンダーランドAFCでは自身の不調もありチームは降格した。

その後、イタリアのACシエナ、母国のヴォレレンガ・フォトバルを経て、2007年の1月に元チームメイトのデニス・ワイズが監督を務めるリーズへ移籍するが、フローは怪我でほとんど出場できずリーズは3部リーグに降格した。

現役晩年は母国のソグナル・フトボールへ復帰し引退。引退後は古巣のチェルシーでアカデミーコーチを務め、若手の育成に励んでいる。