一応、これを貼っておくか

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E5%85%B5%E5%85%AB
■二俣事件の捜査

1950年1月6日に発生した二俣事件では、国家地方警察静岡県本部二俣警察署の刑事として捜査に当たっていた。
事件から40日が経過し未だ犯人を特定できない中、山崎が担当したある少年のアリバイが無かったことから捜査の目が少年に向けられた。
しかし、改めて山崎は少年のアリバイを調べたところ、その少年にはアリバイが存在したため、少年にアリバイがあったことを山崎は捜査主任をしていた紅林麻雄警部補へ報告した。

しかし、捜査会議で紅林は「永年の第六感では犯人に間違いない」と宣言し、少年を別件逮捕する。
逮捕された少年は、警察署裏にある土蔵で連日拷問を受け、自白を強要された。
(中略)
山崎は自身の示唆によって無罪の少年が苦しむことになったのを後悔し、少年を救うために拷問捜査の告発を決意する。

■拷問捜査の告発

山崎は事件を追及していた読売新聞東京本社と少年の担当弁護士に手紙を送り、少年の冤罪を告発した。
告発内容は判決公判の前日に読売新聞に掲載され、拷問によって強要された自白である点、現場に残された靴跡のサイズと少年のサイズが一致しないことを現役の刑事が証言したため大きな反響を呼んだ。
この記事により公判が延期となり、警察内部でも波乱が起こった。
告発後、署長は山崎へ辞職願を出すように強要したが、山崎が拒んだため出勤停止処分に処した。
山崎は公判内でも弁護側の証人に立ち、警察の拷問捜査の実態を証言した。それに対して、署長は山崎は事件当日に現場に行っていない、性格も変質的であり、捜査から外したと山崎を不当に貶める証言を行った。