「顔がキモい」「(容姿が)全部やだ」
大人になった今でも他人からよく言われる言葉です。
家の周りに同級生が一人もいない環境や友達をつくろうという前向きな気力の欠落から人と行動する事は苦手で、昔から独り遊びで何処かへ行ったり、独り言が出てしまう事は今もよくあります。
トラック運転手になった訳も、自分が人と接する事に問題があると思っていたから。
同僚のトラックとスライドした時に丁度、我にかえっていた私は独り言を言ってしまっていました。
スライドした直後事の重大さに気付きました。
更にそれを見た同僚は会社全体にそれを広めます。
「ここんとこ、毎日熱いからな!頭もぬるくなっちゃうよなwwニヤニヤしっちゃうよな!」
「えぇ・・・そうですね。」
みんな冷ややかな目で私を見ている。
なんだろうこの悪循環は・・・
まぁ、そんな事はどうでも良い話だ。

昔は虐められていても、カッとなって放課後にそいつの机をひっくり返したり学校のベランダから椅子をぶん投げたりしたり発散が直ぐに出来た。
黒板に俺を虐めた奴らの名前を大きく書いてクラス全員に知らせ辱しめを受けさせたり、トイレのサンポール持ち出して顔にかけてやったりもしたものだ。
高校の時は虐めた奴らのキンタマやマンコを蹴りあげてダッシュて逃げたり・・・
今思うと俺が逆に虐めていたかもしれないが、人を虐めた罰というのは必ず下さなくてはならない。わからせなくてはならない。
虐めてた奴らに危害を加えると不思議と自分に対する虐めは半減するものだ。
「お前キモい。」
それは私の家族全員に対する侮辱。私を産んでくれた家族に対する侮辱。産まれて来る時に顔は選べない。そう言う自分は顔を選んで産まれて来たのか?と考えるととてもそいつが滑稽に見えて仕方ない。

「死ね」
人は皆、産まれた時から等に死に向かって歩んでいるからそんな事を言われても、発言した側も言われた側も、何れ嫌をも無しに死ぬ時は来るのである。
その時は胸を張って問いかけよう。
「貴様は死なない人間なのか?不死身の人間なのか?そんな事が可能ならお前は死ぬな。」
と、


虐めはやってはならない。