構造改革路線の罪   格差拡大 社会を分断   推進役「自戒の念」  温かさ どう回復 1

 早くから構造改革の必要性を訴えてきた経済学者が、「転向」したとして話題を呼んでいる。
昨年12月に出版した著書の中で「『構造改革』だけで人は幸せにならない。『功』よりも『罪』の方が大きくなってきている」と、
長年の主張を軌道修正したからだ。小泉構造改革の旗振り役となったことへの自戒の念を込めて、
世界に様々な矛盾を引き起こしたグローバル資本主義の問題について寄稿してもらった。

[[ し っ ぺ 返 し ] ]

 未曾有の世界金融危機が我々に突き付けたもの、それは「グローバル資本主義」が持つ巨大な「牙」の実像だ。

 言うまでもなく、グローバル資本主義とは、
利潤を求める国際資本がより高い収益を求めて自由に国境を越えて移動することが正義だとするイデオロギー、
あるいはそれに依拠する国際政治経済体制だ。

 グローバル資本は、世界に残る未開拓の地域、生産性の低い国や効率の悪い企業を嗅覚鋭く探し当て、
そこに集中的に資本を投資することで開発を促進し、生産性を引き上げ、世界経済を活性化させる。
グローバル資本主義は確かにここ20年ほどの世界経済を大いに活性化させた。
新興国がここまで成長できたのも、資源ブームに乗ってそれほど有名でもない国が急に経済成長を始めたのもそのためだった。
その結果、世界経済は年率5%にも上る急成長を遂げることに成功した。これは、大きな功績であったといってよい。

 しかし、この活況に浮かれた私たちを待っていたのは、とてつもない「しっぺ返し」だった。
グローバル資本主義がとうとうその巨大な牙をむき出しにした。

 私はかつて、細川内閣と小渕内閣の時代に規制緩和や市場開放などを積極的に主張した。
小渕内閣では首相の諮問機関である「経済戦略会議」の議長代理を務め、
様々な提言を行い、そのいくつかが後の小泉構造改革に盛り込まれた。
私は、間接的な形ではあるものの、小泉改革の片棒を担いだことになる。

 当時の私は、グローバル資本主義を推進することが日本経済活性化の切り札となると信じていた。
欧米流の「グローバルスタンダード」に合わせることが不可欠だと信じて疑わなかった。
それが日本社会に様々な副作用をもたらすことを予想できなかった。