白系ロシア人が生計を立てる手段としては、まず羅紗(らしゃ)や洋服の行商があった。
和服から洋服へ日本人の普段着が移行するにあたって、白系ロシア人はこれを促進した。
バレエ、ピアノ、バイオリンを教えて優れた弟子を育てたのも彼らだ。
エリアナ・パヴロワは、日本バレエの母とも言われている。
1913年に開校したばかりの宝塚音楽学校で、ダンスや歌の教鞭をとった人もいた。
スポーツ界では日本で初めての外国出身プロ野球選手となったヴィクトル・スタルヒン、
製菓業界では高級チョコレートを日本にもたらしたフョードルとヴァレンチンの
モロゾフ父子やマカール・ゴンチャロフといった人々が有名である。