社会民主党とカトリック民主党は、王党派のこの軍司令官に投票することによって、
今では無力な存在になっている共和国に対するいっさいの義務から彼を解放したのであった。
1925年に反動派によって大統領に選出されたとき、
ヒンデンブルクはワイマール憲法にそむかなかった。
1932年に左翼の票によって選出されたときには、
ヒンデンブルクは憲法問題に対しては極右派の観点を採用した。
このパラドクスの背後には何ら神秘的なものはない。
自らの「良心」と「人民の意志」――2つの無謬の法廷――の前に一人立たされたなら、
ヒンデンブルクは、自らが全生涯にわたって忠実に仕えてきた階層の擁護者にならざるをえなかった。
大統領の政策は、土地所有貴族、大資本家の男爵、ローマ・カトリック派やルター派の大銀行家、
そして最後に、といっても重要性に劣るわけではけっしてないのだが――ユダヤ教信徒の銀行家の政策である。