トロツキーのヒンデンブルク論

大統領の保守的な風貌には冒険主義の痕跡はまったくない。
80歳のヒンデンブルクは政治の分野で何も求めなかった。その代わり、
別の連中が彼を求め、彼を見出したのである。
しかも、彼らは偶然にヒンデンブルクに出会ったわけでない。
これらの連中全員が、同じ旧プロイセンの、貴族的=保守的なポツダム=東エルベの出身である。
たとえヒンデンブルクが他人の行動の隠れ蓑として自分の名前を貸してやったとしても、
彼は、自分の階層の伝統が定めた軌道からむざむざ追い出されるのにまかしておくことはないだろう。
ヒンデンブルクは一個人ではなく、一つの制度なのである。
これこそ、大戦中におけるヒンデンブルクの実態であった。
「ヒンデンブルクの戦略」とは、まったく異なるさまざまな名前をもった連中の戦略にすぎなかった。
この手法が政治の中にそのまま持ち込まれたのである。
ルーデンドルフと彼の副官たちは新しい人々に交替したが、
その方法はいぜんとして変わっていない。