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血のメーデー事件で共産党が築いたバリケード


血のメーデー事件
ベルリン警察長官カール・ツェルギーベルは、
1929年3月以降のデモ行進を禁止し、メーデーの行進も禁じた。
共産党は毎年やってきたメーデー行進を禁止されたことに激怒し、
この禁止命令を無視。1929年5月1日に違法デモを強行した。
31名死亡、数百人負傷、1200人逮捕という惨事となった。