1922年4月18日 ドイツ=ワイマール共和国 ベルリン

 駐独武官東條英機は帰国命令を受け、後任の山下奉文に引継ぎを行っていた。
東條と山下の引継ぎが一段落着いた頃合いで休憩をと考え応接セットへ行き、
ラジオを付けた時であった。
「我がドイツは、ブレスト=リトフスク条約における請求権を放棄することを宣言する」
「我がソビエト=ロシアは欧州大戦における請求権を放棄する」
「「ここに我らは相互親善の精神により両国の経済的必要を解決するため協力する」」
 ラパッロ条約……表向きは相互の請求権放棄による国交正常化を謳った条約であるが、
その実は大きく違った。
――ドイツとソ連はやはり水面下で手を握ったか……
ならば日独ソの三国関係は史実通りの進展となりそうだ……。
――ドイツはこの時から軍事技術の開発をソ連領内で行うようになる……。
当然、その技術はソ連に流出する。
同じようにトルコや支那もドイツにとっては実験場となるわけだが……。
 ラジオはそのまま他のニュースを流した後、軽快な音楽に切り替わった。