>>188
日本のトロキスト
日本共産党が「武装闘争」方針を放棄した1955年の六全協、
1956年のスターリン批判とハンガリー動乱、
この三つの出来事を主な契機にして、
共産主義者の間にそれまで絶対的権威をもっていた
日本共産党とソ連への批判が起こり始める。
批判者の一部はスターリンを批判していたレフ・トロツキーの理論に依拠した。

中核派  革マル派もこの流れにある。