このドラマと、マレーネデートリッヒの伝記を読んで
なぜ憲法制定議会がベルリンではなくワイマールで開かれたのが
分かった気がした、
1919年当時、ベルリンではインフルエンザ1日に千人の死者出ており
ウイルヘルムは玉座を追われ、共産主義者、社会主義者、共和主義者、
無政府主義者、投機家が争っていて、ドイツ中の屑がベルリンに集まり、
革命や街路での殺人が日常茶飯事。
これではベルリンで憲法制定議会など開けなかった。