1932年5月 経済政策に失敗したブリューニング内閣が瓦解
当時ほとんど無名だったパーペンが首相に推薦された
「パーペンは人の上に立つ器ではない」という周囲の反対に対して
シュライヒャーは「彼に人の上になど立たれては困るな。彼は帽子みたいなもんだ」
と語ったという。