ちょっとだけ、僕もアートのほうへ近づきたいと思って、上野
に行きました。今でもそうですけど、上野には似顔絵描きさんがいらっしゃるんです。その中でいちばん上手そ
うな人に「今日1日だけ弟子にしてください」とお願いして、ついて回りました。そこで僕は、ヘンな自信を持
つんですよ。「いざとなったら、似顔絵描きで食えるな」って。それは勘違いであって、似顔絵描きの人たちは
、実は個展や展示会でちゃんとした絵を売っていて、似顔絵はサブにすぎない、いちばん上手い絵ではないわけ
です。なのに、彼らが「家を建てた」なんて話を真に受けて、「俺の方が上手いから食いっぱぐれしないな」と
実力もないくせに、どこへ行っても生意気で、気持ちだけ妙にプライドが高くなってしまった。それ以来、人に
臆するということがなくなったんです。後から勘違いだと気がついても、ずっとその自信は抜けなかったですね。

── すると、よい方向へ勘違いしたと言えますね。

樋口 きっと、そうだったんでしょうね。

── アクセサリー会社の次に、デザインメイトに入社して玩具のデザインを始めたのですか?

樋口 いえ、その前に四谷にあった興行会社に入りました。当時のスター(天地真理さんや南沙織さんやキャン
ディーズなど)のイベントを、地方の大きなレジャー施設でやるのですが、そのお客さんを集めて会場まで送る
のです。僕がやっていたのは、そのイベントのためのチラシでした。一時期、会社に山口百恵さんのお父さんが
いらっしゃって、何か月か机を並べて仕事していました。僕は、絵さえ描ければよかったので、山口さんにも興
味ありませんでしたし、会場にも行っていませんでした。
その後は、キャバレーの看板を描く会社に入りました。当時、“ハワイ”というチェーン系のキャバレーがあっ
て、写真を見ながら絵を描いたり、レタリングの文字を描いたり、カレンダーやチラシも作っていました。
そんなある日、新潟から一緒に上京してアニメーターになった友だちと、高円寺で飲んでいたんです。「高円寺
のパチンコは出ないねえ」なんて話をしていたら、誰かが「名古屋のパチンコは出るらしいぜ」と言い出すので
、みんなを車に乗せて出かけたんです。