「イデオン」のメカニック・デザイナー、樋口雄一さんが教える“敵をつくらず生きる自由放埓な創作人生”【アニメ業界ウォッチング第56回】

「伝説巨神イデオン」(1980年)のメカニックデザインをはじめ、「魔境伝説アクロバンチ」(1982年
)、「銀河旋風ブライガー」(1981年)、「銀河烈風バクシンガー」(1982年)、「銀河疾風サスライ
ガー」(1983年)といったJ9シリーズ、また「絶対無敵ライジンオー」(1991年)に始まるエルドラ
ンシリーズのメカにデザインスタジオ“サブマリン”を率いて参加してきた樋口雄一さん。現在でも玩具デザイ
ンを手がけたり、積極的に個展を開きながら、新しいアイデアを温めている。
アニメやロボットにかたくなにこだわったわけではないが、だからこそ樋口さんの人生は、とことん自由だ。ご
自宅に近い南柏駅前の喫茶店で、風のように軽快な人生を振り返っていただいた。

いざとなったら、上野で似顔絵描きになればいい

── 樋口さんは、最初はアニメ業界に入るつもりではなかったと聞いています。確か、最初はアクセサリーの
会社に入ったんでしたね。

樋口 順番に話すと、僕が故郷の新潟から東京へ出てきたのは、ちばてつやさんに弟子入りしたかったからなん
です。その当時は、漫画家になりたかったんですね。「もうちょっと社会勉強してから来なさい」と体よくお断
りされて、それが3回ありました。3回目は、上京してからの昭和46年2月14日です。漫画家になるのは難
しそうだけど、仕事はしなくちゃいけない。「東京へ行けば何とかなる」と思っていたのですが、知り合いの紹
介でアクセサリーをデザインする会社に入れてもらいました。絵を描くのは嫌いじゃなかったけど、会社で描い
ている絵は僕の描きたい絵じゃないな……と、薄々は感じていました。

その会社は蔵前にあったのですが、カフスボタンだとかアクセサリーの職人さんがたくさんいた場所なんです。
職人さんの中には、何人かアーティストがいました。おそらく、自分の作品では食えないから、アクセサリーの
仕事をしていた人が多かっただろうと思います。