■知られざる世界権力の仕組み 寄生体シンジケートが富と権力を握る 1992年出版(著者)ユースタス・マリンズ■

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◇共産中国が世界の麻薬の50~70パーセントを精製している
換金作物としてアヘンゲシの栽培がはじまったのは、小アジアとくにトルコのケシ畑であった。
この地域では今日でも依然としてアヘンが重要な作物である。
クーチべハール〔インド北東部、西ベンガル州の一部〕では、1516年にはアヘンはムガール帝国の専売品だった。

アヘンが中国に到達したのは1729年ごろのことだが、清の雍正帝〔在位1723~35年〕はアヘンの吸引を禁止した。
1757年にロバート・クライヴがプラッシーで大勝利を収めたときに、東インド会社はインドのムガール人から腐敗堕落の一環としてアヘン専売を引き継いだ。
英国が産業革命に必要な原材料の支払い対価(以前は銀で支払っていた)としてのアヘンの吸引を中国で奨励すると、
道光帝〔在位1820~50年〕は清帝国内でのアヘンの販売を止めるように何度も英国に警告した。

しかし警告が無視されたので、1839年に皇帝は2万291箱のアヘンを没収、焼却した。200万ポンドの価値がある宝物だった。
これがきっかけとなって、1839年から42年および1856年から60年にかけて英国によるアヘン戦争が引き起こされたのである。

共産主義者は、国際銀行家たちから資金を提供されており、共産主義支配権の躍進のために麻薬の販売・吸引が重要な役割を担ってきた。
1928年に中国紅軍は、支配権を確立した地域で広範なケシ栽培を開始した。
1935年までに雲南司令部は広大なケシ畑を支配していた。

1983年時点で共産中国は364万ヘクタール〔3万6400平方キロ、日本の面積のほぼ10分の1〕でケシを栽培している。
北京政府は101ヵ所の麻薬精製工場を操業し、ここで世界の麻薬の50~70%を精製しているのである。