■知られざる世界権力の仕組み 寄生体シンジケートが富と権力を握る 1992年出版(著者)ユースタス・マリンズ■

★P195 ◇ゾルゲに資金を提供したフィリップ・ジェサップの太平洋問題調査会

このうち、重要メンバーのフィリップ・C・ジェサップは共産党の偽装グループと幾重にもつながっていて、
1951年10月の合衆国国連代表にジェサップを認証することにあえて反対投票する上院議員はただの一人もいなかったほどである。

トルーマン大統領はジェサップの名前を取り下げることを頑として拒んだものの、結局は代表「代理」として派遣した。
ジェサップはハーグの国際司法裁判所でエリフ・ルートの補佐官を務めた。
国際救済復興機関(UNPRA)ではハーバート・リーマン事務局長の次官補だった。

リーマンの次官はローレンス・ダガンで、のちに窓から身を投げた人物である。
ジェサップはかつてブレトンウッズ会議で合衆国代表となり、国連創設サンフランシスコ会議ではヒスの司法機関担当補佐官を務めた。
ジェサップは太平洋問題調査会(IPR)太平洋会議の議長を務めた。この調査会は共産主義者による諜略と諜報活動の温床となった。

ソ連のスパイだったリヒャルト・ゾルゲが日本で自分の諜報網をつくったとき、太平洋問題調査会がゾルゲに資金を出していたのである。
IPRの会合では、ローレンス・ロックフェラーが事務局長を務めた。
マッカラン委員会は太平洋問題調査会について次のように報告している。

「太平洋問題調査会はアメリカ共産党およびソ連政府高官によって共産主義の政策・煽動・軍事諜報活動のための道具と見なされてきた」

1945年6月、FBIはIPRのアメラシア誌の事務所を襲撃し、1800点におよぶ盗まれた政府機密書類を押収して、共産主義者スパイを数名逮捕した。
その翌年、ロックフェラー財団は23万3000ドルをIPRに寄付した。

ジェサップはJ・P・モルガン商会の共同経営者である裕福なストーツベリー家の一員だった。
兄弟のジョン・ジェサップは大金持ちの銀行家で、エクイタブル・トラストの会長であり、コカ・コーラとダイヤモンド・ステート電話会社の役員だった。