1945年10月、OSSは「ヴェトナム親善協会」を設立・後援した。会長はOSSのカールトン・H・スウィフト中佐だった。
OSSはホー・チ・ミンの軍勢を最新兵器で武装させ、ザップ将軍の率いる軍隊の精鋭200名に高度の浸透破壊工作訓練をほどこした。

のちにヴェトナム戦争でアメリカ部隊に対する攻撃を指揮したのは、これらの精鋭たちだった。
OSSがヴェトミンやそのほか世界中のテロリスト集団を支援していることを知り、ロバート・ウェルチ〔1899~1985。ジョン・バーチ協会の創立者〕は次のように告発した。

「OSSは、ヨーロッパとアジアの共産主義テロ組織の背後にアメリカの補給品や武器、資金そして威信をどっさり投げ捨ててきたのだ」

ディアチームの連中は、ホーが共産主義への忠誠心よりもはるかに勝る民族愛国心を持つ偉大な政治家だと主張した。
1953年8月12日、国務長官ジョン・フォレスター・ダレスは、東南アジアの進展する政治情勢を監督するため、ドノヴァンをタイ大使〔~54年〕に任命した。
ドノヴァンの補佐官はウィリアム・J・ファン・デン・ヒューヴェルだった。

ドノヴァンは合衆国に帰国後、1956年に脳卒中にやられた。
サットンプレイスのマンションに引きこもり、法律事務所にもめったに出向かなかった。
1957年には二度目の脳卒中に見舞われ、脳委縮症の後遺症が残った。
なんとか2、3年はもちこたえたが、結局ウォルターリード病院に入院して、ここで1959年2月に死亡した。

OSSの訓練を受けたホー・チ・ミンの軍勢は、フランス植民地政府に対して着実に猛攻撃を続けた。
ジョン・フォスター・ダレスは裏表の役割を演じ分け、ジョルジュ・ビドー〔1899~1983。フランスの政治家、外相・首相を歴任〕と会談し、
フランスが精いっぱい頑張るようにハッパをかけた。「アメリカは支援する」とダレスは約束した。

フランス勢がディエンビエンフーで包囲されると、ビドーは自分の戦略を説明するために、ダレスの約束をフランス議会で読み上げた。
ディエンビエンフーは77日間におよぶ攻防戦のあと陥落した〔1954年5月〕。そしてフランス政府は敗北した。

フィガロ紙は、アメリカ国務省とホワイトハウスとクレムリンには裏取引があって、ちょうど朝鮮半島でやったように、
仏領インドシナを合衆国地域とソ連地域に分割するつもりなのだと論じた。

裏取引でどのような合意が達成されていたにせよ、リンドン・B・ジョンソンの財政支援者ブラウン&ルート社によって建造された
10億ドルのダナン空港や巨大な海軍施設を現在、ロシアの陸海軍が自由に使用しているのはまぎれもない事実である。