■知られざる世界権力の仕組み 寄生体シンジケートが富と権力を握る 1992年出版(著者)ユースタス・マリンズ■

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◇「ヴェトナム建国の父」ホー・チ・ミンはOSS(GHQの前身のアメリカ情報調整局)の工作員だった
R・ハリス・スミスは『OSSの裏面史』のなかで次のような話を書いている。
ホー・チ・ミンは、第二次世界大戦中に昆明にいたOSS大佐ポール・ヘリウェルに接触してきて、スパイとして徴用された。
まもなくホーの報告書はワシントンのOSS本部で最優先扱いとなり、ドノヴァン将軍の机に直接回されるようになった。

のちにマイアミでタイ政府の領事を務めたヘリウェルとソコニー石油役員のオースティン・グラス少佐が、ホーの革命闘争のために武器を送った。
OSSから初期のホーを支援したもう一人の人物が、パリの大銀行家の甥ティボー・ド・サンファル中尉だった。

のちにジャーナリストのロバート・シャプレンはこういう話を聞いた。
チェース・マンハッタン銀行の役員の一人がホーの人里離れた司令部にパラシュートで降りたったとき、
ゲリラの指導者はマラリアと赤痢でいまにも死にそうだった。

しかし、余命数時間しかないところに、OSSの医師ポール・ホーグランドが舞い込んできてくれたので、命拾いした。
新薬のサルファ剤とキニーネを投与してホーの命を救ったのである。
ホーグランドは、その後1970年代までCIA本部に勤めたが、常に「ホーの命を救った男」として有名であった。

ホーが危機を脱すると、1945年11月にOSSの特殊分遺隊ディアチームがホーの司令部に派遣された。
このディアチームの隊員たちは全員こぞって、フランスの「帝国主義者」つまり植民地政府を弾劾していた。

ワシントンの最上層部で、フランス撤退すべしとの決定が出ていたことが彼らの誇りだった。
このチームの優秀な隊員の一人にニコラス・ディーク大尉がいた。ハンガリー人で、現在はディーク・ペレイラの社長である。
彼はスイスとオーストリアの銀行数行の支配株を握り、合衆国やカナダ、極東で外国為替取引を操作している。
フランスは「同盟国アメリカ」がホーのヴェトミン〔ヴェトナム独立同盟〕軍の訓練と武器供給を行っていることを知って困惑した。

ホーが知らされていたのは、ドノヴァン将軍は大きな経済権益(世界商業社)を代表していて、この会社がインドシナにおける「経済特権」と引き換えに
ヴェトナムの鉄道・道路を再建する計画だ、ということだった。