連投すまん
「努力そのもの」より「いかに目立とうとするか」「いかに世渡り上手にやっていくか」が評価される感じがきつくて辞めた。
昔のありきたりな歌とかで「努力を笑うな」ってあるけど、単純に努力を笑う行為を悪と消化できるだけ昔のほうが、建前上は努力肯定しつつもその実は横の繋がりだけに重きを置く今より、よほど矛盾なく納得できるかな。
衆人環視は続いてるし、褒め合いながら頭の中は嫉妬心闘争心でドロドロで、自分より下等な存在には褒めつつも内心で嘲って、勝手に嫌ったり、侮った相手は無視して、もうそういうツイッターの色々が世の中の人間全体を性質の悪いものに変えてる感じすらする。
いや元からその人たちにあったモノが培養されていっただけなのかも知れないけど、Facebookとはまた違うベクトルで嫌いかな。
徹底してリア充キョロ充ツールだったFBも似たようなモノだが、ツイッターは諸々の悪いところがそのまま残ってるね