何故普段重要性を認めていない他人に、
自分の価値や可能性の判定員の役割を容易に預けたり託したりしてしまって、
それ自体が非常に信憑性に乏しい称賛や中傷によって自分の存在を推し測ろうとするのだろうな
無理解のお世辞や自分が何の関係も持てない流行に中毒になってしまうのは何故なのだろう
人間の心理は後で反省してみれば自分でも納得出来ない行為に生き甲斐を見出してしまうのは不思議だ