うとうと
誰かの目に止まりたくて発信するわけで過激なほど簡単で幼稚である。

プロデュースしたいイメージをしっかり考えているならば早くも遅くも破綻するやり方は選ばない。

加害者も被害者もこの舞台を選んでやっているだけで観客としては見苦しいものを見てしまった(嘆)なわけで娯楽として消費されて時間に流されていく。

こんなものに命を懸けるのは愚かだ。