>>212 続き
「アメリカ・カナダ公務員会議」の元議長であったBlaine Hoover自身も
軍部が1930年代に各省を中央主権に収め、人事権を収奪しようとしたこと
そして、そのような試みを内務省や大蔵省が防止することに成功したことについて知らなかった。
Hooverが起草した法律は、公務員試験を実施し、給料体制を定め、不利益処分の審査を行う
人事院を内閣の付属機関として設立した。

しかし、この法律は各省庁を監督するために必要な権限と人員を内閣または総理府に付与することはなかった。
とくに重要なことに「予算編成権は大蔵省に残されたままにされた。」
(大統領府に行政管理予算局を置く米国とは対照的であった)