新しいヨーロッパは、廃虚の上にのみ建設が可能である。
私が言おうとしているのは、正気の沙汰とは思えない物質的破壊の
結果である瓦礫の山の事ではなく、私益という名の、偏狭という名の、
過去の遺物となった自国本位の国家主権という名の、
そして愛国心至上主義の偏狭な政治という名の、精神的な廃虚の上にという事である。
ヨーロッパは、全ての人の利益の為に、
そして全ての人の犠牲において建設されなければならない。


以前に売国奴だった者が突然ドイツの自由のための闘士になるかも知れぬ
などという希望はありうるはずのない、実にナンセンスな考えである。
ハイエナが腐肉から少しも離れることがないのと同じように、
マルクス主義者は祖国を売る仕事を見限ることはない。


戦時にあらゆる階層出身の、あらゆる職業を持った
わが最良のドイツ労働者数十万が戦場で被らなければならなかったように、
これら一万二千か一万五千のヘブライ人の民族破壊者連中を
一度毒ガスの中に放り込んでやったとしたら、
前線での数百万の犠牲がむなしいものにはならなかったに違いない。

第一次世界大戦において、本国で反戦運動を起こして
政府を転覆させたマルクス主義指導者たち(主にユダヤ人である、としている)について。
なおヒトラーはこの戦争に志願し前線で毒ガス攻撃を受けて負傷していた。